鹿児島から帰ってきた。
鹿児島も島じゃないけど、櫻島は島ではなかった。大正時代の噴火で溶岩によって大隈半島と繋がって以来、半島の一部になったそうだ。
九州初上陸だったのだが、方言が分からない。アクセントがへんなのはもちろんなれない言葉があった。それは仕方ない。小さい頃津軽に行って、公共交通の国鉄の駅員の行ってる事が分からなかった。 桜島には高浜虚子の歌碑があった。そこの周りの松林でうぐいすが、
ほーほけきょい と鳴いていた。横浜の我が家の近所ではほーほけきょだ。 鳥にも方言がある。
お土産で かるかん というものがあった。
猫まっしぐらなのかと思ったが違う。店のおばさんに かる は 軽? ときいたが、かるかんというお菓子だという。 別の店で軽羹と書かれていた。
鹿児島は良く整えられた城下町だ。そのぶん、現代的な整備に格差が残る。いいところは水族館。館の前の
運河でマンボウを飼っていて無料で見られる。館内にはジンベイザメが居る大きな水槽もある。
くじらの骨格標本もある。 イルカのプールは横から見られるようにもなっていた。深さ5メートルくらいのところではイルカが鳴くのが良く聞こえた。
イルカの一人遊びも観られた。深く潜って頭の上にある鼻から空気をぼこっと3つ4つ吐く、ぐるっと回ってきて、その空気だまにバクッと食らいつく。こんなことをやっていた。
市電の駅で
二軒茶屋があった。
示現流の資料館では案内してくれた人と、なぜか、話が盛り上がった。
結婚式で出た透明の瓶には日本酒ではなく焼酎が入っていた。鹿児島なのだなー、と思っているうちに、一人で飲んでしまった。困った。
高校からの友達は2人行った。少ないので先に片付けてしまおうと言う事だろうが、イの一番に紹介してもらった。
そして、田中君がお嫁さんをつれて(つれられて)夏には横浜に来るのをたのしみに。
遊ぶ年寄りが多い鹿児島に限ったことではないが、 田舎 には気ままな年寄りが多い。
・好きな時間に庭に植えた作物をいじる、昔は本業だった為か、出来がいい。
・孫と娘(孫のおかあさん)と散歩、犬と散歩。
・自分の店を気ままに手伝う、若い世代も年寄りをうまく使って店を空けている。
・近所の他人の店で話し込む、または店番をしている、店主は店を空けている。
都市部ではとしよりが 社会活動 と称して働いている。 人材の有効活用というらしい。
しかし、団塊の世代の
退職で若者の
雇用が盛んなのだと言う。今まで外部社員でやりくりしていたので、賃金節約の良い点と共に、社内文化の崩壊の危機があったが、賃金の高い年寄りが多く退職する事で、文化の継承が期待される。
雇用の不安定で若者のフリーター化があり、大多数として 流されてきた団塊の世代は戦争教育の余波で 我々が頑張っているのに息子世代に根性が無いから就職しない と口にしていた。しかし原因は
戦争の遺産だったのではないのか。人工組成は戦争の遺産だ。戦意高揚、勇んだ態度も遺産だ。
大多数に属していた年寄りは、自分を持たないまま自己認識するために社会活動を続ける。そんな背をみて育った世代は、親を批判したく無いので、
フランスの若者のように景気対策・雇用政策について悩む政府に意見を言わずに黙っていた。無気力で元気が無いから黙っていたのではないよ。
原因が分かっていると正直に言えない事があるのです。
年寄り臭い年寄りは、結果的に若者に頼られる存在になる。