Agendum Khalifa Kenji

jeudi, avril 30, 2015

柴田淳 木綿のハンカチーフ

木綿のハンカチーフ:柴田淳

samedi, avril 25, 2015

日本版長靴をはいた猫のフランス語版

長靴をはいた猫フランス語版 https://www.youtube.com/watch?v=BKee_wtgRvI

vendredi, avril 24, 2015

シール、ラーメンばあ他

ベビースターラーメン丸ってらーめんばあみたいだ。

シールも好きだったけどあのお菓子が好きだった。/

好きなものを表現してするのは◎いい。

ボタンが有ろうが無かろうが良いねボタンを押しまくろう

ラジオ日経第二

4月24日(金)今日のRN2 17【Music

2015.04/24 番組スタッフ 記事URL
17時からはクリープハイプ,おかん,TOWA TEIなどの楽曲をノンストップでお届け。 ♪♪♪


この時間の曲リストを紹介します。



<17時00分~>

Heard 'Em Say / Kanye West
寝癖 / クリープハイプ
everybody goes ~秩序のない現代にドロップキック~ / Mr.Children
Don't Look Back In Anger / oasis
溺れる鯨 / FoZZtone


<17時20分~>

幸せのカタチ / おかん
KAPPO! / LIKE A ROECORD ROUND!ROUND!ROUND!
Not For Long ft. Trey Songz / B.o.B
MAYBE / N.E.R.D
SAKURAドロップス / 井上陽水


<17時40分~>

Butterfly / TOWA TEI
マインドトラベル / bird
ABC (R.Yamaki's Garage Mix) / DOUBLE
Time After Time / INOJ

mercredi, avril 22, 2015

オンライン辞書

連想類語辞典:日本語シソーラス

多言語オンライン辞書Glosbe

lundi, avril 20, 2015

相手がバカな時

馬鹿になる のと 赦す のは違うから、しっかり追求しなければいけない。
ただ、面倒なので、時間をとられて自分のことができないようではいけない。

ああ、いけない いけない。

dimanche, avril 19, 2015

スタートはいつも発射台が必要だ

中級の練習をいくらやっても上級には成れない。でも一人では何が上級かが分かりにくいので、何らかの外部の基準を探さなきゃいけない。

始めから良いものを見ておくことの利点はとても大きい。

節約できるエネルギーを知らないと、必要な投資も出来ない段階にきて全部つぶれてしまいそうだから注意が必要になる。

こんなメモ書きもいつかは いつかは文章にしなきゃ。

vendredi, avril 17, 2015

広く浅く知りたいフランス語小林先生

広く浅く知りたい。
小林先生フランス語 http://www.muse.dti.ne.jp/~kbys/lexique.html
 年表のペー
  Encyclopaedia Universalis
//


塞翁が馬。コヘレトの言葉。 

 2003年にフランスで自己紹介の時度々「大統領の演説みたいだぞ^^」と言われた。
何を僕は暗記して喋っていたのか?

 今は単語も表現も無茶苦茶。ウォロフ語、セレール語、韓国語を押し込まざるを得なかったから仕方ないけど、
ああ、忘れっ放しがもったいない!!!!!!
 この際レベルアップしなきゃ。くるしいけどなぁ。
暗記!//

横浜市就職サポート 

vendredi, avril 10, 2015

フランス語エコシステム語彙

フランス語エコシステム語彙http://www.ecosociosystemes.fr/IndexAlpha.html

Fururaさいえんす  http://www.futura-sciences.com/

jeudi, avril 09, 2015

コピー:樫の木



理学部通信1631994 広島大学理学部コミュニケーション委員会

理学部のシンボル・ツリー、シラカシ -その科学と文化-
広島大学名誉教授(1950~1985年植物学教室勤務)安藤久次

シラカシの植物学
ブナ科の中で、俗にドングリと呼んでいる実が椀状の殻斗にはまって着いている木には、コナラ属(Quercus)とマテバシイ属(Lithocarpus)の2属があるが、多数の雄花を穂状につけた枝、すなわち花序が、前者では下垂し、後者では上向きに立つことで区別される。コナラ属(前記ラテン語の学名は「立派な木」の意)は、北半球の亜熱帯~温帯に広く分布し、この地域の森林を構成するもっとも重要な樹種である。殻斗の表面が鱗状で、すべての所属種が常緑性のアカガシ亜属との2群に分けられる。ヨーロッパでオーク(oak)といっている木はすべてコナラ亜属であるが、日本を含めて東アジアには両属の種類が見られる。
一般により寒冷な地域に分布している落葉性のコナラ、クヌギ、カシワなどや、常緑でもウバメガシはコナラ亜属であるが、ウバメガシを除くすべての日本産常緑樹種(カシ類)はアカガシ亜属に属する。この度、理学部のシンボル・ツリーに選ばれたシラカシ(Q. myrsinaefolia)はアカガシ亜属の代表的な種で、宮城・新潟県以西の本州、四国、九州の低地に広く分布し、済州島や中国大陸中南部の暖帯域にも見られる。広島県内にもごく普通に自生しており、特に県中・東部の内陸域に多い。公園樹、庭木、生垣としてもよく植えられている。
材が白味を帯びているのでこの名前がある。葉は長だ円形でウラジロガシによく似ているが、葉の裏面はそれほど白くなく灰緑色で、ほとんど無毛である。
主幹は普通真っすぐに伸び、樹皮は黒みがかって、大きく生長すると堂々として威厳が感じられる、風格のある木である。広島県内に知られている巨樹には、三次市の熊野神社にあるシラカシ(胸高幹囲4.9m)、甲奴郡上下町、井永八幡神社のシラカシ(4.5m)があり、いずれも県天然記念物に指定されている。甲奴郡総領町、領家八幡神社の社叢はシラカシが優占する立派な森で、胸高幹囲2mを超える大木が30本余りも見られる。これもまた県天然記念物に指定されている。
カシ類の材は、俗に堅木といわれているように、重硬で粘り強い上、乾いても狂いが少ないので古くから農耕具、大工道具などの柄、秤の棒、荷車、木橇、拍子木などに利用されてきた。古代に大きな石、木材などを運ぶのに用いた修羅もカシ材を使ったものが多い。特にシラカシの材は硬く、カシ類中もっともそれらの用途に適した重宝な木であった。毛利氏の居城があった高田郡吉田町の郡山にはシラカシが多い。このカシが農耕具のほか、木刀や槍の柄にも適していたので、毛利氏の勧奨によって積極的に植栽されたのであろう。この山の西側山麓にある毛利元就の墓所に、ハリイブキと呼ばれているイブキが墓標木として植えられている。しかし現在は枯れて、そのすぐ傍に自然に生え育ったシラカシがあり、身代わりの墓標木として大切に保護されている。
シラカシはまた、製炭用としてとして育成されたこともあり、昔は実が食料、染色などに利用された。葉はフラボノイド、タンニン、トリテルペンなどを含み、結石溶解・形成抑制の作用があるとして、近縁のウラジロガシとともに、民間薬で胆石・腎結石症に用いられる。

カシ文化史
「古事記」には、赤梼、白梼と記された木が現れるが、それぞれイチヒ、カシと訓まれている。前者は葉の裏が黄褐色のイチイガシを、後者は葉裏が白味を帯びたシラカシ、ウラジロガシ、アラカシなどを総称したものと思われるが正確には分からない。特定の種和名で古歌に読まれているカシ類は、イチヒが「万葉集」に1回ある以外は全部シラカシで、筆者が調べた限りでは、万葉ほか古代、中世の和歌集で7首にシラカシの名がみられる。「記」にイチヒと訓まれる「赤梼」があっても、古歌にアカガシの名は見当たらない。
「景行記」によると、倭建命が東征の帰途、能煩野(現三重県亀山市能褒野町付近)に着いて病気になり死期が近づいた時、故郷の大和を偲んで次のような歌を詠んだ。
命のまたけむ人(命が無事で元気な人)は たたみこむ(次句の枕詞) 平群(へぐり)の山の熊白梼(くまかし)が葉を 髻華(うすい)に挿せ その子
従者の(または故郷にいる)若者たちに、平群の山(現奈良県平群町の矢田丘陵)に生えているカシの枝葉をかざしに挿せと呼びかけて、元気で有為な人生を送るように願った歌である。「熊白梼(くまかし)」は、カシが大きく育って威厳ある優れた木であることを美化した表現である。この歌は本来独立歌で、宴会や歌垣の席で、老人が人生の盛りの若者に対して、その青春を豊かに過ごすように教え、祝福する歌であるといわれている。
「日本書紀」第六巻(重仁)に、「一説によれば、天照大神は、伊勢に鎮座する前、大和の磯城(現奈良県磯城郡付近)にある厳橿のもとに祭られていた」旨のことが記されている。「古事記」にも「厳白梼(いつかし)」の語があり、カシが清浄で神霊の依代となる聖木として畏敬されていたことが分かる。「記紀」に、神武天皇が即位の式をあげたと記されている白梼(橿)原の宮(現橿原神社の境内に遺称地がある)一帯は、昔、カシ類が生い茂る、文字通りのカシ原であったと想像される。
「記」の「梼」、「紀」の「橿」、また現在普通に使われる「樫」(国字)は、いずれも「堅くて強く長もちする木」を意味し、和名「カシ」は、「堅し」、「厳し(いかし)」、「雄偉(いかし)」、「茂し(いかし)」などに由来すると諸説がある。
いずれにしても、常緑で材が堅く、実が沢山なるカシは、強い生命力、長寿、豊穣を象徴する吉木として尊ばれてきたのである。現在でも、カシ類を正月の門松や墓・神棚の供花としたり、田の水口や畑に立てたりして、家の繁盛や豊穣を祈る習俗があちこちに残っている。
なお、同じQuercus属の他の亜属に属する、落葉樹のコナラ、カシワなどは、昔から神事の時、葉を供物を盛る器として用い、また、冬になっても枯葉が落ちにくいので、「葉守(はもり)の神」(樹木を守護する神)が宿る木として神聖視されてきた。このような風俗・伝承から、カシワの葉を象った柏紋は、特に神社、神宮、武家の紋章として採用されてきた。また、ヨーロッパでは、オークは威厳、勇気、忍耐、勝利などの象徴として、詩に詠まれ、絵に画かれ、勲章、コイン、国・都市・団体などの紋章のデザインにとり入れられている。日本でも、相撲その他各種スポーツの賞杯やメダルに、カシワの葉が勝利・栄光のシンボルとしてよく用いられている。
以上のように、シラカシは、西南日本の代表的な樹木で、古代から人々の生活に欠かすことのできない有用な植物であった。また、その他のカシ類やナラ類とともに象徴性の大きい吉木または聖木として崇められてきた。シラカシこそ、わが理学部の風格と活力を象徴するにふさわしい、誇るべきシンボル・ツリーであると確信する。
育成も容易であるので、理学部域内の諸所にこの木を植え育て、いつも緑の「厳カシ(いつかし)」のもと、古代から伝承されてきた「カシの心」を体して、強く永く、そして豊かに理学部が輝き発展して行くことを願ってやまない。
最後に、鎌倉時代末期に成立した勅撰和歌集「新後撰集」にあるシラカシの歌(光明峯寺入道前摂政左大臣)を掲げて筆をおくことにする。読者それぞれに解釈されたい。
 夜を重ね山路の霜もしら樫の
  常磐の色ぞふゆなかりける

mercredi, avril 08, 2015

駄洒落が効く

韓国の鯛焼きは名前が{鮒パン(붕어빵)}といって、サイズが小さめにできている。
小学校近くの駄菓子屋さんで、トッポッキと一緒に売られていたり、屋台で売られているものだ。

日本ではたい焼きは小さくなっても{ミニ鯛焼き}と、鯛のままの名前で出ているのが一般的ではないのか。
「めでたい」から鯛。
駄洒落が効いているからおいしいんだ。魚の種類・形状がマイナーチェンジでは面白くない。

でも、自分では大判焼き(マミーでは「今川焼」)は買う。
こっちはおいしく感じるから。

シンクタンクリンク

転身の例、コケのシンボリズム I

学校を出て
-戦争
-中学校の先生
-国立大学理学部の先生
-音楽大学の教養科目の先生と転身したパターンもある。

しつこく熱心なひとがいいな。

コケのシンボリズム。 Symbolism of bryophytes 安藤久次

mardi, avril 07, 2015

群集 という用語について



EDAPHOLOGIA No.14 45-481976

「群集」という用語について
-動物学者の立場から-
青木淳一(横浜国立大学環境科学センター)

私があるところで「土壌動物群集の研究」という表現を使ったら、ある植物の先生がそれをみて、「土壌動物集団の研究」と直してくださった。そのわけは、植生学の分野では「群集」という用語の使用に当たっては、ある厳密な規定があって、そう滅多矢鱈に子の言葉を気軽に使ってはいけないことになっており、その群集とまぎらわしいということであった。しかし、動物集団ということばはあまり聞いたことがないし、何となく耳障りで困ったものである。
そもそも、群集という言葉は、極めてありふれた日本語である。「群集の中の一人の顔」とか「群集をかきわけて進む」とか、人間の群れに対しても始終使われる。動物学の分野でも、海浜の動物群集とか、草原の昆虫群集とか、特にうるさい規定にとらわれずに、あるすみ場所に集まっている動物に対して、ごく気楽に使える便利な言葉である。

しかし、植物学の分野では、そうはいかない。群集とは植物群落分類上の一つの基本的な単位であって、植生学的な調査に基づいて決定され、記載され、その群集の命名者と発表年を伴った分類単位なのである。丁度、動植物の分類学の「種」に相当するようなもので、種の上に属・科・目・綱・門、種の下に亜種や変種があるように、群集の上に群団・オーダー・クラス、群集の下に亜群集・変群集・ファシスなどの単位が定められている。

つまり、植物学、正しくは植物社会学あるいは植生学においては、群集という極めてありふれた日本語に厳密な規定をはめこんで、特定の意味をもたせるように扱ってしまったのである。それでは、人間の世界や動物学で使う群集のような、もっと気軽に使えることばが植物の分野で存在するのかというと、それに対しては、ちゃんと「群落」という用語があるのである。素人からみると、どうもこの「群落」という言葉のほうが、ずっと学問的でむつかしそうで、そう矢鱈に使えそうもないように思えるが、事実は逆で、群落のほうはかなり気軽に使ってよいことになっている。たとえば、主としてエノキからなっている林を見つけた時、これをエノキ群落と呼ぶことはさしつかえないが、きちんとした植生調査もしないで、ただ眺めただけでこれをエノキ群集などと呼ぼうものなら、たちまち植生学の先生におこられてしまうのである。今から十数年前、ダニを扱った論文の中で、調査地点の植物群落の記述にあたって、私はわざと動物群集と同じような意味で、ミズナラ群集とかイケノヤナギ群集などの表現をしたが、ずい分無茶なことをしたもので、恥ずかしい思いである。

しかし、一寸怪しからんと思うことは、植物屋さんのほうで、そんなに厳密な規定をしたのなら、それにふさわしい学術用語を造ればよさそうなものに、人間や生物一般でふつうに使われている群集ということばを勝手に横取りして、狭い意味に使いはじめたことである。それでも、動物学者は動物のことだけ、植物学者は植物のことだけ取り扱い、お互いに知らん顔をしていればよい時代には、別に差しさわりは起きなかった。しかし、最近の生態学のように、植物・動物・人間をくるめた生態系の研究が盛んになり、また植物と動物の関係を論じることが多くなってくると、一寸困ったことになってくる。たとえば、私の最近の関心は、植生と土壌中に生息するダニ類の関係を調べることに向けられている。そこで、「シラカシ群集の土壌中にみられるダニ群集」などといった場合、前者の群集と後者の群集はまるで意味が違うのである。一つの論文の中で、同じ語が二つの異なる意味をもったりしたら、それはもう論文とはいえなくなってしまう。

原語との関係はどうなっているかというと、ドイツ語のGesellschaftあるいはLebensgemeinschaft(英語のCommunity)が、植物学では群落、動物学では群集と訳され、厳しい規定を伴ったドイツ語のAssoziation(英語のAssociation)が植物学で群落*)と訳されたわけである。したがって、もし日本の植物学者が群落と群集を反対に入れ替えて使っていてくれたら、全く問題はなかったのであり、この点がくやまれてならない。群落という語は、人間社会でも動物学でも用いないのだから、これこそ植物学できめた厳格な意味のassoziationに対する専門用語としてふさわしかった。そして、群集という言葉は人間・動物・植物いずれを問わず、気楽に使える共通語として残しておいてほしかったのである。

しかし、今更こんな愚痴をこぼしてみても仕方のないことである。植生学の分野でもはや動かしがたく定着してしまった群集および群落という語の使用法を、今になって変えてくれと泣きついても始まらない。やはり、群集ということばを漠然と使っていた動物学のほうで泣き寝入りするより仕方ないのだろうか。

今後は動物学でも○○群集という気楽な使い方をやめなければならないかもしれない。
いま、泣き寝入りといったが、私はまた別のことも考えている。それは、動物の生態学においても、群集という語を、植生学のそれと同じような意味で使うことが出来るのではなかろうか、ということである。動物の群集についても、植生学的な手法を用いて分析を行ない、ある特定な立地に結びついた、特徴的な種の組合わせを持った種の集まりが見出されれば、それは植物の群集と同様○○群集という分類単位として扱うことができるかもしれない。従来の動物生態学では、その研究対象として、鳥とかアユとかバッタとか、移動力のある動きの激しい動物を多く扱ってきた。それらは、じっとしている植物を扱っていたのでは得られない動物生態学の醍醐味を次々と味わわせてくれた。そしておのずから、植物の場合とはちがって、主として同種の動物集団、すなわち「個体群」を扱う生態学が特に発達してきた。

一方、小型で移動力の小さい、しかも種類数や個体数の極めて多い動物群、たとえば森林土壌の中に生息する原生動物、輪虫、線虫、ダニ、トビムシなどのなかまの群れは、分類学上は動物界に属していても、その“住みつきざま”はむしろ植物的である。かれらは立地や環境の違いを見事に反映し、それらを種組成の上に具現している。このような動物群に対しては、植生学の調査分析法が適用できそうな気がする。
そして、私の専門の愛すべきダニの名前を冠して、キバダニ-ツキノワダニ群集とか、あるいは他の土壌動物も含めて、ホソワラジムシ-サクラミミズ群集などという表現ができるかもしれない。もし、それが可能なら、動物についても「群集」ということばに厳密な規定を加えて使用することになろう。しかし、動物における群集という語の普及度からみて、それはむつかしかろう。Assoziationに対して、「群集」とは別の言葉で、あとで動物に適用してもおかしくない用語を、植物学のほうで使っていてくれたら、とくやむ理由もここにある。

では、どうしたらよいかというと、可能・不可能は別にして、次の三つの方法しか考えられない。
第一は、動物学で使っているcommunityの意味の群集という語の使用をやめて、何かそれに代わる用語を考えることである。今、思いつくことばとしては「集団」と「共同体」くらいしかない。しかし、集団という語は集団遺伝学(=個体群遺伝学)とか、集団育種、集団行動という用法をみてもわかるように、個体に対しての集団、個体の集合体としての集団、つまり個体群(主として同種の個体の集まり)と同じ意味で使われているので、多くの種の集まりである群集に代わる語としては具合が悪い。また、共同体という語はcommunityの訳語として、そうふつうにではないが用いられているので適当と思われる。しかし、この語は「潮間帯の動物共同体」とか「ネズミの巣穴の動物共同体」とか、あるすみ場所にみられる異なった動物群全体をひっくるめていう場合に適切な気がするが、限られた動物群だけに限定して「ダニ共同体」とか「トビムシ共同体」とかいうと、どうもおかしいのである。それに、日本語としては三字からなることばは、どうも合成語を作ってもゴロが悪くて困る。しかし、今のところ、この「共同体」という語を動物の群集に当てはめるより方法はなさそうである。

第二に、植生学のほうで、associationに対して使っている「群集」という語を、別のことばに改めてもらうことである。もし、これが可能なら、問題はもっとすっきりと解決する。なぜなら、実は植物学、いや植物学の分野の中においても、ウプサラ学派に属し、優占種を重じて群落を分類する人たちや、群落分類単位を認めない学派の人たちの間では、群集という語を動物学者と同じようにcommunityの意味に用いているのである。いや、それどころか、associationの概念に従って植物群落の分類を行う本家本元のチューリッヒ-モンペリエ学派の人たちの間でさえ、外国ではcommunity(またはそれに相当する他国語)という語が動物の群集や植物の群落を指す気楽な共通用語として認められていて、用語の点では問題が無いのである。要するに、日本の生物学の中でも植物学、植物学の中でも植生学、植生学の中でもチューリッヒ-モンペリエ学派の日本人だけが、群集という語に他と別の意味をもたせてしまったのである。この人たちにとって、、群集(association)というごが、“おれたちだけのもの”であった間はよいが、この人たちの素晴らしいアイデアと努力によって、この“群集”という概念が生物学の中で広く認められるようになってきた時、はじめてその用語のまずさが、どうしようもないものとなってきたのである。しかし、分類学者に「種」とか「属」という用語を変更してくれと頼んでも今更受けつけられないのと同様、この人達もassociation=群集という用語はガンとして変えてはくれないだろう。

第三は、仕方がないから、このままお状態でほおっておくことである。植物群落と動物群集を一緒にしたものが生物群集で、植物の群集はまた別の意味をもつという変な定義に甘んじなければならないし、とにかく頭がこんがらがってくる。ここでいう「群集」はcommunityの意味であるとか、associationの意味であるとか、いちいち論文の中で断らなければならないこともしばしば起こるはずである。日本の生物学は、将来もずっと、この「群集」ということばに関して、不便と混乱を保ちつづけなければならない。まことに残念なことである。
1976216日受理)


*Assziationに対しては、一時、群叢という語が使われたことがあるが、現在では群叢はKonsoziation、つまり基群叢(Soziation)の上級単位として、別の意味に用いられている。

自分が感心を持ちそうなことなのに。。

クスノキが外来種!!

日本人よりは歴史が長いのかもしれないが、帰化植物だという事で和な名前{楠木正成}が今でいうところの{ダルビッシュ有}や{ダレノガレ明美}のような異国風な名前に思えてしまう。//




半マングローブ植物」というくくりが有るそうだ。今まで何故知らなかった?
・縁が無いのと
・勉強不足の所為だろうが哀しい。。

セネガルではほぼマングローブに住んでいたのに、通勤路の街路樹がマングローブだったのに。。マイケル・ジャクソンを聞いて元気を出そう。//



教科書のタイトルに囚われて、考えを制限しては駄目だよ!
ネットのシソーラス日本語ページを見失った!//


そこに居る魚を種別に数える積りで
せめて写真に撮ったけど、何もやってない。。

lundi, avril 06, 2015

まだ勘違いが多い。。99

un lieu
une lieue

まだこの辺の勘違いをしている。

新しく勉強するよりしんどいんじゃないか? 掛け算九



煩悩に捕らわれてつづりを間違えるようじゃ駄目だ!