Agendum Khalifa Kenji

mercredi, mai 30, 2007

j habite a Palmarin gounoumane

Le29Mai2007晴
植えたマンゴー?の芽が出ている。でも、明日からダカールに行くので水遣りは出来ません。
DPCAに予算を聞きに行くのだが、ラミンとは話がついたのか?

地域の事務所に居住者証明を貰いに行く。雑談しながら作業が進んで、発行手数料は無料だった。田舎はいい。
JICAに電話。こんなときに限って電波が無い。停電。1500Fcfaかかった。5000f払おうとしたらお釣りが無いといわれ、小銭500fだけ払って残りは後払い。
玉子たまねぎを買って帰る。
途中アンドレさんと会った。
セレール語で数え方を習う。
1おれん
2あだっく
3あてだっく
4あなはっく
5ぺたっく
6べたふぁんれん
7べたふぁだっく(べた+ふ+あだっく)
8べたふぁてだっく(べた+ふ+あてだっく)
9べたふぁなはっく
10はるばふぁい
11はるばはいふぉれん
20おいむ
21いんふぉれん
30かばいたでぃっく
31かばいたでぃっくふぉれん
40かばいなひっく
50かばいぺてぃっく

DPCAと電話。
ラミンはもう稚魚獲りをはじめたの?
ぴろぐを運ぶんじゃなかったの?
あれは大きすぎたからソンコのを使うことになったの。

行動計画がいいかげんすぎる。
1610からジフェールに行くだなんて交通が不便すぎる。困る原因が小さいが効果が大きくて困る。

Le28Mai2007晴セネガル132日目休日
0945気温26℃。ズツー。頭痛い。週末から痛い。まずは「唯の風邪」を疑ってみた。違う?次に「空腹性頭痛」を疑ってみた。近所に昼ごはんを週末2日続けて作ってもらい沢山食べた。Lekk naa bu baax!違う?おそらく村の人と同じものを食べても僕にとっての改善にはならない。。やはり自炊したい。食べながら何が足りないかを考えた、塩味が足りない!なので「塩足らん性頭痛」を疑ってみた。買い物に行く。「運動不足勉強しすぎ性頭痛」が残る候補だ。

今日は玉子3個手に入った(300fcfa)!って戦後か?!
1個25円、10個250円て日本と値段が変わらないんじゃないの?

500gの粉ミルク(1500Fcfa370円)の袋を積んだトラックは19時ごろに付くよ!って被災地か?!

でも代金を払えば大体のものは手に入る。まず、タクシーで近くの街へ行く。この時点で村では物が足りないと言うことになる。日本だって私鉄の1駅とJRの1駅とでは距離が違う。ちょっと遠目の1駅感覚で買い物の旅に出る。  1日に出来ることはそう多くない。

村の人と同じ条件で生活したいが条件がまだ見えない。知り合いが増えたので観察する。もうしばしの我慢。昨日書いたように、みんな出かけているんだろーなー。

玉子3個とニンニク、塩小匙1杯、油大匙3杯と今日は比較的上手く炊けた米を食べる。
栄養が絶対に足りていないと思う。一ヶ月間流し台の配水管がダカールから届かない、アルフォンスは誰に頼んだのだろう?

DPCAの予算を調べにいよいよダカールに進撃するか。

昔「日本がソ連かどっかに旱魃のための食糧難にインスタントラーメン(日本人の発明)を沢山送った」とのニュースを見て「スープ(水分)が必要な献立を旱魃で水が無いところに送るのか。アフリカにはタジンっていう水をあまり使わない蒸し鍋が有るけど、ラーメンの方がいいのかな?」と思った。調理がいらないからインスタントラーメンははたぶん水を使わないのだろう。

お金だけじゃなく方法・物品が無い途上国(たぶん被災地ではない?)の援助資金は、物品のレンタル・リースも組み合わせて、返済期間に技術指導で口を出しつつ、いつの間にか自主運営に移行させられればいいな。

流し台のパイプを測りにきた。35ミリパイプ。届くのは来週以降。今週末は選挙。僕はダカール。しかし完成は間近だ。

1920気温28度涼しい。
2018-2051停電
2214停電
3217ごろ停電終わり
ソリティア745点

Le27Mai2007Dimanche晴

1030気温26℃。Il fait frais. 涼しい。J’ai vu Richard(enseignant de l’école primère) à l’église.教会で小学校の先生をしているリシャーに会った。
Comme la femme d’André(cuisinier, navigateur ) est malade, il s’a accompagné à l’hôpoitale.アンドレは留守。
Il y aura lieu la lutte sénégalaise aujourd’hui aussi. Demain, jour férié, les chrétiens vont aller à Popoginne pour le pèlerinage, donc il n’y aura pas de voiture demain.今日もセネガル相撲があるらしい、明日はキリスト教徒はンブールの来たのポポンギンヌへ巡礼に行くので交通機関は皆そっちへ行くからこの辺は移動ができない。
Comme la neige, la sable lance du rayon aux yeux.雪のように砂が太陽を反射させる。お隣さんにご飯を作ってもらった。食堂も台所も無く、料理が出来ない。弱る。それに世話になると気持ちが楽。斜向かいのおばちゃんも「お隣がいないときはうちに食べにいらっしゃい」といってくれる。
僕は 親戚の家で、保育園に行く前の頃お世話してくれた家で、けっこう頻繁に人の家でご飯食べて大きくなったかもしれない。
De mon village à la poste plus près, il faut une heure en voiture.
郵便局はどこにあるか聞いたら車で1時間以上かかるジョアールにあるといわれ、はがき出したいんなら誰かに頼めばいいよ!ジョアールに行く人がいるだろうから。と当たり前のように言われた。
やっぱりこの村では用事がすまないことが多く、2週間に一度は近くの海側の街へ村人は出て行く。内陸にも州都があるけど家からは交通の便が悪い。近い州都より遠くの首都の方が確実に行けるし、やれる活動が多いので効率がいい。

僕はこの村の生活に慣れようと、3週間は村にとどまってみよう、JICAの招集がかかるまで外出は控えようと思っていたのだが、ココの生活は行ったり来たり。しかも宗教に関係のある祝日は移動手段が無い。まったく周辺の雰囲気に変化が無いので気付かないと、移動できない日に立ち往生するんだ。今後は2週間に一度は4日ほど仕事を持ってダカールに行こう。
ソリティア740点
2200ごろ。猫が入ってきて皿を落としてので欠けた。借り物だぞ!

Le26Mai2007samedi晴
0730気温24℃涼しい。昼間30℃風があるのでいい感じ。日向には出るな!

ちょっと具合が悪いかも。しかも木曜辺りからこんな感じだったぞ。暑いのはアフリカだから?Maux de tete。
お昼ごはんを作ってくれと隣のうちに頼みに行った。今後もお願いしようかな。

引き続き水産資源管理と養殖事業の実行計画を練る 足りないのは予算だけか?

フットワークの軽さの中に「被援助国でも条件を揃えることは可能である」ことを見せるためのこの国の「建前」が見える。本音は「お互いに不満を聞きあう時間を必要としている」と感じる。
現在は実際の養殖作業は中断しているが、漁師が網を繕う作業の隣に座って話をすると、援助を受ける側には「現在の仕事」があることを感じる。援助をする側は「然るべき機関の職員が、調査・研究を専門職とし」、セネガルの受け入れ機関も含め、本職でやっているが、受け手・実施者は本職は漁師或いは家事をしなければならぬ農村・漁村の女性が対象なのである。新しく勉強しなければならない技術を外国人から習得するのは時間のかかることだろう。
この本音と建前の違いは観光客相手の土産物屋のお兄ちゃんと話をしていると良く分かる。彼らの観光客が来たときの陽気さはたいしたものだ。日陰で物静かに話していたところにお客さんが来ると、アフリカの照りつける太陽の下に出て行って「マイ フレンド!アミーゴ!」と声をかける、太陽のスポットライトでアフリカの自然の下の開けっぴろげなアフリカ人の性格を演出する。人には強い日差しに当たると倒れるから日陰でアタイヤ飲んでろと言うくせに。この開けっぴろげは観光客から見ると必死さが見えるので「こいつ何か盗ろうとしているのではないか」と警戒心を抱かせる。みんな小売店の人たちは商売が・演技が下手だぞ!

セネガル人は兄弟が多いから(8人とかね、)兄弟内での競争が上手な奴がけっこういる。そいつはずるさが人一倍、親切さも人一倍。適当に嘘ついてみると直ぐに見破るし、何かをためらっていると直ぐに手を貸してくれる。

頭を洗っていたらMamadouさんが電話で免許試験情報をくれた。選挙が近いけど事務所は開いているらしい。ソンコはファティックから養殖局役員が来たときに連れて行ってもらえばいいと言う。いつも世話をしたがる。ありがたいが待っていてもしょうがない。村長に相談だ!

よく壁に入っている鉄筋が意外といい具合なので、その棒で素振りをやってみる。今後続けてみよう。

Lutte Senegalaiseでもやっているのか。太鼓の音が聞こえる。

Le25mai2007vendredi
Aujourd’hui dans ce village il n’ya pas de pomme de terre.
J’ai acheté deux mangues en 100fcfa, ca coûte 0.153 euros.
Je suis en train d’écrire notre projet et un exemple de budget jusqu’au décembre 2008.
計画立案今月中に書き終えたい。シニアボランティアの報告書読み直したらシニアボランティア活動費から支出と書いてあった。これが無いことが今回の問題かもね。
今朝買い物に行ったら今日はこの村にジャガイモが無いことが判明。
マンゴー2つ買った。1つ50Fcfa、2つで24円。

カズ、サッカーの三浦カズは70歳になったら横浜市立の高校のサッカー部の監督になって天皇杯を獲って欲しいと クレージーケンバンドのライブDVDを観ながら ふと思った。

Le 24 Mai 2007 Alxames(en wolof) 128e jour de ma vie au Sénégal
0700temperature 25degréC
0830 marcher pour Djifère à pied, il a fallu une heure et demie.
自転車に乗った15歳くらいの小僧に1000fねだられる。時計もくれと言う。そのくせカヌーが必要なら貸してくれると言う。なんじゃそりゃ?
1000arrivé à djifère , Lamine est allé à Dakar.漁師は潮位が上がるのを待っているそうだ。
1030mesuré la temperature de l’eau surface 25degréC.近くのホテルの従業員と話をした。ヨーロッパ人が来ると「Hello my friend、Amigo!」なんて言って商売を始める。
彼らなりのアフリカっぽさの演出が為されているが、それが良くないと思うよ。馴れ馴れしいし、親しげな振りの中に必死さが覗くから声をかけられると嫌になるんだ。
タバコを吸うかと言いつつ自分の吸っているのを僕に回してきたが、「吸わない、ゼンソクがあるから」と答えると、僕に煙が来ないように隣から向かいに席替えをした。そして伝統のセネガル漢方薬の話をしだした。お茶をご馳走になって。漁港管理事務所へ戻る。
J’ai achete deux bananes qui coutent 200fcfa=0.3euros

なんだかシニアボランティアは試験計画にいくらか出したらしいぞ。養殖局は具体的な要望「○○画必要だ」には早く答えてくれるが、長期的な計画予算を立てて実行することはできるのか?前回の試験をなぞるのが僕の1度目の試験目的だと思っていて、そのやり方はDPCAが心得ているのかと期待していたが
、まったくそんなことは無い。そういや、DPCAがしっかりしていれば試験は自分達でするってもんさぁ。自分で漁師・市場に聞いて1年に2回試験の計画を立てなくちゃいけない。
6月15日に漁港が3キロくらい北の新しいところに引っ越す。
vers1600 je suis revenu à Palmarin Gounoumane en taxi bourse.300fcfa égal 46centimes.
1 euro égal 655,957 Francs CFA
Je me lave, avec 10 litres d’eau.
1825気温29,7℃il fait frais

Pour l’instant je ne pratique jamais kendo ici , comme il n’ y a pas de cuisine ni robinet, je ne voudrais pas préparer mes repas moi-même .
Je suis maigri sept kg depuis mon arriveé , mais je me sent legère, cela veut dire je suis en forme . Comme je travaille avec les pêcheurs ds deux ans je serais océanologue en costaud.

Mon travaille avance vraiment petit à petit. Et l’avis de Direction de la pêche continentale et de l’aquaculture n’est pas encore claire pour moi .

Depuis le déménagement à Palmarin Gounoumane, deux mois est passé . Je vais m’affranchir dans mon domaine.

Ici est village de catholoque. Peut-être vous ne pouvez pas imaginer l’exploitation économique et conservation de milieu naturel. Allez lire l’article du 2 mai.

Les sénégaiais sont gentils.
Ici je utilise *le français *anglais *wolof *serère *japonais *arabe *coréen je ne utilise pas *poulaar ni *jora mais je les entends.

Le23Mai2007Mercredi晴セネガルに来て127日目
0330起きる。昨夜の停電が終わったのでパソコンの調整。
0500寝る
0830愚惰具惰する。体操する。掃除。
昨日買った粉ミルクではない牛乳、フランスで買ってたのと同じものをコーヒーに入れて飲む。牛乳はそのまま飲んだ方がいいや。

「はい」、フランス語の「oui」英語の「yes」はwolofで「わーう(waaw)」セレール語で「いー(ii)」。 イー!だなんてショッカー以来だ。

午後には明日漁師さんに話す貸借対象表とか予算の話をどうしようか・侵食以外のほか環境変化が見えやすいところはあるか・ついでに宅地建物取引主任資格の本もながめようか。いや、洗濯をしなければいけないのか。

養殖局も生物学の学位を持った人だけじゃなくて、経営を知っている人が必要だと思う。お金の計算なくして具体的な活動計画なんてでてこない。水産資源量の見積もりは誰にとっても難しい。人の役割がなかなか見えてこないが、赴任地に着てから2ヶ月経っちゃったし、大体の判断で巻き込んじゃっていいのかな?うまく行くの「うまく」はいったいココにあるんだろうか?

Fatuに頼んでおいたお昼ご飯を取りに行った。多分750Fcfa。

経営の本を復習、用語は後で作業を先に。

夜暗くなるとほんとに暗くなるので寝る。勉強している人は居るんだろうか?

この村の郵便はどういう仕組み分からないし、家の近所にポストがあるのか調べてない。

家の住所はadresse de Kenji KAWAMURA :

「 Palmarin Facao Mbine Mondor、 chez Alexandre SARR、 Departement  de Fatick、SENEGAL 」

nom de déstinataire ;
宛名は「 Khakifa Kenji DIOUF 」
 これで手紙が届くと思うが心配だ。荷物は送らないで欲しいがカードは送って欲しい。
Donnez-moi la carte sil vous plaît, je suis ici jusqu’au janvier 2009
Hors de votre carte, point de salut.

電話をTIGOに換えたのに昨日から電波が弱い。

Le22Mai2007Mardi晴
朝起きてパン買う。
0720気温26℃。
0817境界の裏を通り浜辺に出て歩いてジフェールへ向かう。
途中生きたエイ、死んだフグ、くらげ、マングローブの種、甲イカ、千切れたニシキヘビが浜に落ちていた。

1時間くらい南に歩いてGite de Palmarineの裏の湿地近くの浜辺には引き潮のときに海岸にブロックの塊と黒い塊が見えるところがある。
ジフィルは海岸侵食がある場所で、FAOがジフィルに作った工場が今は沈んでいることが有名。この黒い塊はフィラオやマングローブの根、ブロックは家の跡。これらも昔ここが林であり村だったことの証拠だ。

浜辺にこのような障害物があるためにここでは地引網が引けない。海岸侵食で失われるのは利用可能な土地だけでなく、利用できる海岸線と沿岸もだ。
ただ、陸地面積が減るだけという認識では足りないよ。

A la plage de Palmarine, on peut touver des tas de bloques et des choses en noires.
Les bloques sont la ruine de village ancien Palmarine, et ces choses en noire sont des racines pourries de mangourove et d’autres arbres. Il y avait une forêt ici, mais à cause de l’érosion tout a été enlevé par les vagues.

Par l ‘erosion, ce que nous avons perdu est non seulment la terre disponible, mais le littoral disponible. Ici Palmarin est village de pêcheurs , mais à cause des racines sous la mer, on ne peut plus utiliser une senne à la plage(sweep seine) là bas.

1017ジフェール到着。この辺に来ると頭の悪そうな犬がまとわり付いてくる。
ソンコとラミンと会う。Wolof・Sererreに加えジョーラ語が参戦。困る。

漁師に払うお金の話以外は何時でも仕事が始められるが養殖局が低い金額しか示さないので作業計画に具体性が出ないということになっているらしい。前回の試験は誰がお金を出したか聞いたら日本人のシニアボランティア側だという答え。

局長しか仕事の決定権を持つ人が居ないのが作業が進まない原因だと思う。担当者不在といえるほど変な組織だ。分担が上手く出来ていないのではないだろーか。局長に話すとなんでも話が早いが。

仕方が無いので漁師の必要とするものを自分で書き出すことにする。水産資源管理って経済用語がおおかったっけ?

1314ホテルが島へ船を出すときに使う桟橋の先で水温を計る。表面26℃。

ソンコのところで昼ごはんを食べる。タクシー乗り場で公式料金を聞く。料金を聞いて、タクシーのボスのミカエルからサインを貰う。

30分間扉のちゃんと閉まらないタクシーに乗ってパルマランに帰る。こんな交通機関じゃ危ないがJICAの約束でセネガルの運転免許がないとバイクが使えないらしい。国際免許があってもだめなんだそうだ。変な話だ。事故の加害者になったときの対策のためなのだそうだが詳しくはどんな対策か知らされていない。何のためのバイク貸与なのかサッパリ分からない。不便だし、走っている途中でドアが開くタクシーが危ない。天井に頭をぶつけるような、そして時々ぶつかるんだけれど、その天井が鉄がむき出しで角が出ているからやはり危ない。
日本では1年に9千人くらい交通事故で死者が出るけど保険会社の存続のために自己の確立を容認しているのかと思うような理論でバイクにのってはいけない理由を説明されている。幾ら統計で人の寿命が見積もられても個人に対しては計算が当てはまらないのに、今明らかな具体例を一般的に解決しようとしているのは自分の考えが無いことを示しているだけだ。これも大きい団体には憑き物。

ソンコの手紙について秘書のシンギーさんに電話。

アジズ(アブドゥと呼ぶ人も居るから本名はきっとアブドラジズ)にこの村の名前の由来を聞く。
Palmarin Gounoumaneはパルム(椰子)とマリン(海)から出来た言葉。グヌマンはセレールで大きな池。だそうだ。
もとはポルトガル語だと村長から聞いた。今は侵食で海に沈んだ場所に池があり、悪魔がそこにいて人々に祭られていた名残でグヌマンの名が残っている。

Fatuのところでスープ500Fcfa。アフリカコーラ1.25リットル500f。

1925停電。今日は良く歩いた、2030ごろ寝る。


Le21Mai2007Lundi晴
朝起きてパンを買いに行ったら隣のアンリが酔っ払って普通の格好して出てきた、子供らもいい服着てる。つまり二日酔い休日、振り替え休日、きょうもお祭りの日だ。

昨日渡せなかったワイン1600Fcfaをラティルのところに持って行き息子のフランソワに連れられてフランソワの妹の家へ行く。フランソワはミュージシャンでンブールに住んでいる。昼間はホテルで働いて、夜に演奏をする。外国に遠征もする。
この家でジュースを飲んでセネガルクスクスを食べてまたあいさつ回り。行った先でオシンを貰い、飲む。

歩いていたら日本語で挨拶するお爺さんに会った。アンドレという自称70歳。むかしは日本人の乗る船で料理を作っていた。小学校も出ていないがスペイン語もフランス語も話す。一生懸命働いた、そして生まれ故郷に家を建てた。皆に日本料理を食べさせたかったが、分かる人が居ないと嘆いている。奥さんも料理を知らないから、材料が豊かでないこの国で粗食で詰らんといっている。1978年ごろから日本人と働きよく世話してもらったそうだ。「アンドレちゃんうまいよ!」と親子丼、コロッケ、煮付け、ホコミヤキ(お好み焼き)・茶碗蒸し、鳥の照り焼きなど作っては喜んで食べてくれたんだそうだ。
レシピにはソユ(醤油)、sucre(砂糖)、AJINOMOTO(味の素)がだいたい入っている。
懐かしんで話してくれた。いつも神様が守ってくれているから日本人との仕事が終わってこの村で自分の経験を理解しない人が居ても平気なんだそうだ。家から教会の十字架が見える。昔は家の前に椰子の木が在ったのだが、部屋から十字架を見た線上に椰子の実が落ちると、まるで十字架の上に椰子の実が落ちるようだから木を切ってしまった。そんなアンドレ。息子のシモンに僕のためにコーラを買ってきてくれといったが、もうコーラも椰子のお酒もワインも朝っぱら飲んでいるのでお断りして帰ってきた。
子供らがバケツでリズムを取って練り歩いてくる。
昔町内の神輿を担ぎ、休憩所に付くたびにパックに入ったジュースをスイカを貰いお菓子とアイスを貰い疲れが溜まるお祭りを自分もやっていたことを思い出す。
この機会に人の家の前を歩いて挨拶してみた。小さい村だが2日では人の顔は覚えられない、僕は一人しかいない外国人だから今後挨拶が大変になるだろう。

「昔はどの家でもトイレを借りられた、昔は人情があってよかった」と聞くことがあるけど、昔はトイレが母屋から離れていたので、大切な部屋に近づかないでトイレにいけたから、それに知り合いの知り合いくらいしか来なかったか便所を貸せたんで、人情は関係ない。サルが山から下りてきて農場を荒らすのも、野良猫・野良犬がいなくなったからサルが勝手なことをするんで、気候の変動と人間による開発で山に食べ物が無いというだけが原因じゃないようだ。
皆が好き嫌いをはっきりさせて、アノ頃は良かったですますことなく、いいものは広めて行きましょう。
アンドレももう不平は止して、日本料理を僕に食べさせてくれ!

ソンコが来た。水曜日にまた、局長が来るらしい。
明日は海岸を南に10キロ歩いてみたい。

Le20Mai2007Dimanche晴夕方雨

0930教会の鐘が鳴るがおとなしめな音なのでいつもと行動を変える。先日買った袋入りの植物油が流れ出てしまっていたので、ねずみに齧られないようにプラスチック瓶の油を買う850F。50Fcfaのお釣りが嫌だったので2050f出したら、聞き間違えたのかと思われて50fを返された。計算の仕方の違いはよくあることだ。
1030に教会へ行く。いい格好をした子供たちがいる。いつもと違う元気な神父がいる。
空席が無いが、村長の隣が空いたので座る。
1207礼拝終わり。今日は2時間半続いていた。
その後村中でお祭り。なぜならさっきのいい服を着た子供の何かだから。3日間続いたセネガル相撲もこのための催し物だった。

隣に住む左官のアルフォンスに呼ばれて誰かの家に行く。ここはDioufさんらしい。子供はアルフォンスというのと何とかと言うのがいる。この祭りの3日間で知り合いが増えた。

この村は1978年(村人証言)に教会が出来、おじいさんの代頃からイスラム教から改宗した人が多く、今では村の9割以上がカトリックだそうだ。Dialogue Islamo-Chretienだ。
カトリックの診療所で修道女が1978年から診療所があると言っていたからやはりこの数字は正確なんだろう。

BabacarがDjifereにいった後で家(漁業養殖局ジフェール事務所)に立ち寄った。彼は直ぐ帰るし、イスラム教徒だからちょっと休んで勝手に帰っていった。このように家を事務所と兼用にするのはJICAは安全対策上嫌っている。僕は何が便利か分からないが、安全ならば事務所兼自宅だとここでずーずーしくしていても文句が出ないのでいい。これから改善しないといけない。

Dioufさんの所ではチェキで写真を撮って主役の子供と家族に渡した。この日はただで村中どこででもご馳走になれるそうだが、ビールと椰子のお酒オシンをのんでカステラと揚げパンを食べたら頭が痛くなったので一箇所でおとなしくしていた。
チェブヤップを食べた。

写真が7枚しか残っていなくて、「誰其れを撮ってやることになっている」と言って多くを断っていたが、同じ名前の人間が2人主役の中にいて、断ったはずだが自分は写真を撮ってもらえると思ってやってきた。僕は名前を覚えないのでこういうこともあろうかとフィルムを1枚余分に残しておいたので撮ってやった。祭りでの皆との会話を機会に、今後、この村の家族構成が分かりやすくなればいい。

1750気温29.5℃涼しい。20分間ほどだったが雨が降った。1月16日のセネガル到着以来、今まで2回ダカールで通り雨があっただけ。いよいよ雨季か?

調理をしたかったのでたまねぎとニンニクだけでスパゲティを食べた。
流し台は何時出来る?


Le19Mai2007Samedi
朝起きられない。
起きたら昨日貰ったマンゴーを食べた。昨日食べた分の種は発芽し始めていたので植えてみた。マンゴーの皮は家に住んでいる4匹のトカゲにあげた。
宮元常一の民俗学の旅を読んで、次にQU’EST-CE QUE ECOLOGIE POLITIQUEを読み始める。
1830Fatuのところで晩御飯を食べる750f。このところどこでも値上げしているので、流し台が無いけど料理を始めようと思う。でも週に2回はFatuのところに行こう。
1900アルフォンスと会う.その弟フランソワとも会う。で、家の隣に住んでいるのがHenriだということが分かった。アルフォンスがこの辺でえらいのはラティルの長男だかららしい。で、ラティルは初代水戸黄門に似ているので僕が親しみを持って毎回挨拶に行くから、
この辺の人は僕のことを知っている  と考えると納得できる。
2030までセネガル相撲を見る。入場料500fcfa。年に一回この村で興行される。
地面に手を突いてもひっくり返らなければ負けにならないようだ。レスリングよりも日本の相撲に近い。日本人がやっていることっていろんな分野で洗練されているのかもしれない。中国から伝わった考え方があるが、日本人の方が井の中の蛙でいることを嫌って遠くに出、ふるさとは遠くにありて思うものなんて言ってる。妙だ。
相撲の興行主はカトリック教会らしいぞ、集まったお金は何とかかんとかっていう話を聞いた。
「たとえばお前が主催するなら云々」と説明してもらったが終わりの方は別のことを考えていたので聞いていなかった。
ご飯のことを考えていた。この村のことやラティルの家族が大体分かったので、適当にご飯をご馳走になったり遊びに行ったりしてみよう。人の名前で一夫多妻なのかどうか、子供が公立学校に通っているのか私立に通っているのかが分かるようになってきた。そうなると僕のセネガル名が大司祭の名前に由来することが面白い。Kalifa DIOUFとはWOLOF語学校の先生が、「君はフランス語が分かってみんなのまとめ役を務め、しっかりしているから」という評価でグランマラブーのハリファ・ババカールと赴任地の民俗の典型的苗字DIOUFからつけた名前。奇しくも仕事の同僚はBabacarという、僕ら2人合わせて一人の大司祭の名前が出来上がる。神の遍在性を感じる。

Le18Mai2007Vendredi晴
明日と明後日はこの村の近くでセネガル相撲があるらしい。

1000カトリックの診療所のDr.Bernardにフランス語版ブラックジャックを見せてみた。
「たいした部屋は用意できませんがどうぞ一晩ごゆっくり」の意味を聞かれた。
やはりフランス語圏とはいえフランスとセネガルではフランス語が違う。日本では 「回りくどい力づく単語」が流行りだ、たとえば「心の視力」、これは多分「洞察力・想像力」のことだと思う。「停電」はここでは「(電気の)流れ切れ」と言う。
帰りにシスターからマンゴーを5つ貰った。

1900FATUのところでサラダを食べる。なぜか知らんがいつもおいしい。沢山食べたいような気もするが、まぁいいや。500fcfa。
店の直ぐ向かいの会場で、今日から3日間セネガル相撲をやってる。明日見に行こうかな。入場料は500fcfa。セネガル相撲を見に来た人で今日はにぎわっている。カトリックの小学校の先生Richardと話した。彼はMbourに家族がいて、週末は帰っているのだそうだ。そして、和田君の隣の先生はストをしているが、カトリックの学校は関係無いと言っていた。

同じときにRichardの横で僕になにやら話しかけるおばあさんがいる。Fatuやその先生の通訳によると「ヨーロッパ人のお兄さん、コラの実を買うからお金を少し頂戴。」と言っている。多分セレール語だ。他のボランティアから聞いた何とかっていう単語は聞こえなかった。昨日の子供らの寄付ある目があったので、狭い村で(khalifaは寄付に応じる)という印象が付くと厄介なので、僕はフランス語で「少しという金額は無いんだよ。いくらかのお金の単位があって、それは何かの変わりに支払われるものだ。」と言っていたら、20歳くらいの多分そのおばあちゃんの孫だろう、おばあちゃんを連れて行った。

今夜も停電。潮騒を聞きながら大西洋の方を眺めていたら、日の入り19時50分頃から停電終わりの2237までに3個の流星が見えた。気温27.9度、涼しい。

Le17Mai2007Jeudi晴
0715気温25.3℃。
教会の鐘が鳴る、今日は昇天祭。
0930から礼拝。
1030礼拝終わり。群馬の冊子の写真を近所の人と見た。アジズに電気代を払った。
1130SONKOが来た。月曜にまた連絡するそうだ。FATIKの自動車免許は6月17日まで受付が無いらしい。選挙の所為か?
夕方寄付を集める学生が太鼓をたたいてカップを持って歩いている。20人くらい居るだろうか?持っていた小銭は100fに満たないが持っていかれた。
更に隣村から女の子が2人、別件で寄付を求めてきた。粉引きの何かの寄付だそうだ。しかし、小銭が無い。粉ミルクを買いに来たところだったので、買い物後に200f渡す。2人とも16歳くらいの女の子で、ひとりがかわいらしい顔なんだが、ちょっと話しているうちに仲良くなった感じ感じ感じ。で僕は家に帰る。
1900FATUのレストランが今日は休み。なぜならFatuが疲れたから。でパスタ、玉子、油、たまねぎを買って家で調理して食べた。
昼間左官のアルフォンスに会ったが、まだ管が来ないので仕事が出来ないんだそうだ。なんだしょりゃ!一体どこに注文したんだ?

Le16Mai2007Mercredi
0723バスでDPCAへ行く。
0920DPCAの車でDJIFEREへ向かう。
1117MBOUR通過。
1217Fimlaのpost de Controle de la Pecheでトイレ休憩。
1235ンダンガンでFAOのテレフード計画が始まるから会議した。カキの養殖・マングローブ植林・女性による水産物加工がテーマ。
1400会議が終わる。3月はじめに僕はDPCAに「thiof養殖以外の資料は要らない」といったけど、近くで色々な活動があるので出来る限り関わっておきなさいよ。 といって資料を渡された。  移動手段が無いのに。。なんで国際免許とバイクがあるのにバイクが運転できないのだろう?現地免許が必要なわけは何だ?
1500ジフェールで来週からの稚魚採取に関しての会議と必要なものの確認。
塩分計、酸素計はもう直ぐ届くらしい。
1600会議終わる。今までドーナツを齧ったきり皆食事していない。
1630パルマランに帰る。
2106停電。疲れた、何も食べずに寝た。


Le15Mai2007Mardi
0830路上パン屋でパンとあまぁーいミルクコーヒー。
JICAに提出物。話し合い少々。
1215水産専門員の家へ昼ごはんをご馳走になりに行った。アツモ、モリグチ、マコが先にいた。

Le14Mai2007Lundi
0800カールでMBORO出発。
1330漸く連絡所に付く。
シャワー。
1400出発し、
1500HOTEL INDEPENDENCEで安全講習会とインフルエンザ予防接種。
1800講習会終わり。
1900東京酒家。男ばっかり集まってみる。全部で15人しか男隊員がいないようだ。刺身が出た。
アルバラカ宿泊

Le13Mai2007日曜
朝ネットして寝る。ワダは昨日の村へ行った。
昼大家さんのいえでご飯。ワダ、砂まみれで帰ってくる。なんでも、一人で作業したらしい。
海に行く。この海は人が多いよ。Palmarinがいい。
村を回って犬に付き添われてカシューの実を見て帰ってくる。断水。


Le12Mai2007Samedi晴
今までは仕事が無かったのに急にやることが出来たそうである。ンボロの森林局員、良かったじゃないか!
0900小学校でワダが授業をする。5回目だそうだ。1回目はケンダマ、独楽回しをやったということ。
1000授業終わり。「子供は何でも欲しがる」と言うけどそんなもんだよ、でも教室には「種は一人2個までと決めた方がいいんじゃないですか?」といっている女子のたちもいたじゃないか。そういう子達に作業を任せてもいいと思うよ。最後に写真をとる時だって「整列!」と言ったら並んだでしょ?みんな利口な子だ。

海に行く予定だったが、苗畑作りしに行った。子供も入れて17人手伝ってくれた。
2030ごろ帰宅。

Le11Mai2007Vendredi
朝ンデッキ(朝食)おばさんからパンを買う。
農業何とかへつれられてマンゴーの挿し木を見てた。KOICAの人と会った。別の場所でポット苗畑を見た。暑い。。35℃。。砂埃が多い。。
昼は和田家で板を切ってパタパタを作った。大家さんのところでご飯。
村へ行く。畑を見つつアラビア語の先生もしている農夫と散策する。椰子のお酒をもらった。
1900歩いて帰る。クスクスを大家さんとこで食べた。
ネットした。


Le10Mai2007Jeudi晴
0830チェックアウト。JICA事務所へ行く。
1100連絡所へ戻りワダと近所のパソコン屋へUSBキーが上手く作動しないと言いにいった。そしたらば店員達は 誰が売り場担当だったのか 話してる、そんなことはどうでもいい、責任追及しに着たのではないのだから。もう一度こちらの要望を伝えるとすんなり解決した。インストールがうまく行かなかっただけで何も難しいことは無い。
1230EL Mansourに行くと昨日注文したものがあった!
1500連絡所発Mboro行き。7Placesでティバウアヌ経由。
1830ンボロに到着。送電線が太い!水道があるが断水。
大家さん宅で晩御飯。

Le9Mai2007Mercredi
0700連絡所。バイク練習。
練習場所の日本・セネガル職業訓練校(?)の溶接の先生は日本に行った事がある。少し話をした。
昼はEL MANSOURでチェブジェンを食べる。明日は何がいい?と言うことなのでチュー・ブレットがいいとリクエストした。
連絡所の守衛とアタイヤ(お茶)の練習をした。とりあえずよくお茶を溢した。眠たかったからに違いない。お茶の葉を買うときに25fコインが無かったので借り払いで買った。

1800路上の床屋で耳の上5センチくらい剃った。色々と注文をしたので床屋には1000f払った。そしてお茶の葉の25fを思い出したので、床屋から25fコインを貰った。で、借りを返しに行った。

1930皆でタイ料理を食べに行く。
2200たくしーでアルバラカへ帰る。運転手が運転しながら室内の赤いランプを天井に固定しようとするので、ねじ回しを取り上げた。安全運転講習会の夜に事故は勘弁してくれ。


Le8Mai2007Mardi晴
0630起きる
0700にタクシーで連絡所。
0800交通安全バイク講習。
1230EL Mansourに鍋を持ってチェブジェンを買いに行く。
赤いレストランの横の果物屋が「ウルトラマン7」とプリントされたシャツを来ている。
この国では3人目のウルトラマンだ、流行っているのか。。
午後はバイクの点検講習。
夜どーしてもクレープを食べたくって材料をマキコ、ジュンジと買いに行き、苦労して焼く。
アルバラカに戻った。

Le7Mai2007Lundi
0800頃JICA事務所に行くバスを待っていたら、5月5日に会ったサンバに会った。彼は1番バスに乗っていった。僕は4番バス。
1030予約して、A/B肝炎の予防接種を受ける。
しんいちろ、じゅんじと合流。写真屋、手袋屋、ホテル アルバラカ泊。
1900この3人で東京酒家で食事。
2130寝る。

Le6Mai2007日曜
1030教会に行った。こっちのプロテスタントの教会はバンドの伴奏で賛美歌を歌うから元気でいい!
1330路上の床屋で少し耳の上を剃った。500f払った。

Le5Mai2007Samedi晴
0800ダカールは25℃。洗濯。
0900、路上で揚げパン4個入り100Fcfaを買い食べながらネットしに行く。
DPCAに深いところの溶存酸素を計るデジタル機械が欲しいとメールした(アドレスが古かったことを後で知った。なんでも一回目は様子見)。
PalmarinGounoumaneは携帯のOrangeの電波が無いのでTigoのSIMカードを探す。2500fらしい、現物は置いてない。フランスでは情報チップの付いたカードをla carte puceと呼んだが、この店では通じなかった。
Bitikで牛乳を買ったが、これも値上げしたようだ。
連絡所の本を読んでみる。気候と植物と寄生虫が分からなくて生態系が分かるものかってな感じ。更に赤塚富士夫の「これでいいのだ」も読んだ。
夕方路上の床屋に行った。しかし髪を切らずに、近所4111番地に住むサンバという先客と、近所の住んでいると言うマクシミリアンと話した。
疲れていて会話をする気がまるで無かったのでdegguma dara(ことばがぜんぜん分からない)というと、外国人は自分の言葉をアフリカ人に覚えさせるばかりでいけない!アフリカの言葉を勉強しなくてはいけないとマクシミリアンが説教を始める。「少し分かるよ」とウォロフで言ってみた、続けて近くのTele centre公衆電話屋の兄ちゃんがセレールを話すのでマクシミリアンにセレールでの挨拶をした。これは分からないんだそうだ。で、
僕が何でセネガルにいるか話すと、畑仕事を知ってる仲間はいないのかとサンバが聞いてきた。彼はThiesに畑を持っている。家族が昔から持っている畑だが芋とか詰んない野菜しか植わってないから新たに開発したいので誰か紹介してくれと言う。家はこっちだからちょっと見に来いということになった。
僕は家を見に行くのを渋った。面倒だったから。するとマクシミリアンは「サンバのことを怖がってるぞ」なんて言ってる。この野郎ー、さっき説教お前が鬱陶しいんであって、サンバが怖いんじゃないぞ、背丈だって僕と君は変わらないじゃないか、僕にだって君を張り倒すことぐらい出来るぞ!なんて話しながらサンバの家を見に行った。
彼らは僕らの隊員連絡所を知っていた。


Le4Mai2007Vendredi晴
0830まだ停電。延べ30時間。
1100Patrimoine Batiの調査員がfatikからやってきた。
1130調査員の来るまでダカールに向け出発。途中Royal Lodgeに挨拶する。
ンダンガン、フィムラを通り12時40分ルルセッセン通過。昨日は宗教の祭りで、またしても車が無いことを聞かされる。で、車が拾えるところまで行って調査員らはfatikへ帰る。僕はジャンダーム(憲兵)に託された。憲兵が車を探してくれて、僕は1500Fcfa払いカールに乗り込む。どっちの方角に進んでいるのかわからない。木の陰の向きから方角を知ろうとするが、太陽が高い時間には影がほぼ真下にあるので方角が分からないのであった。
1400MBOUR通過。DAKARに入ったところで乗り換えする。降りるときに運転手に300f(?)返された。
1600コロバンヌ着。
1630連絡所着。
1900Capsud向かいのスパゲティ屋に行ったら、役所の指導で値上げしたんだと言う。500から700Fcfaになったけど食べていくか?聞かれた。その後で1ユーロが162円、1ドル120円だと知った。2007年初めはユーロは150円だった。2002年は130円だった。1996年は1franc20円のような気がする。

2007年5月3日木曜日晴満月
0630教会の鐘が鳴る。
昼間Jeanの店に粉ミルクを買いに行くが大きいのが無い。夜7時ごろに入荷だと言うが小さいのを2つ買う。値段はカバイタディック、ウォロフにするとニェティ フッキ ヂュルムとかで、つまり150Fcfaだった。
1900ソンコが来る。明日は家にurbanisationの調査員が来る。
ずっと停電。

samedi, mai 05, 2007

うちから近くの一番いい観光施設

ロイヤルロッヂ


浜辺を北に向かってがんばって30分歩くと着きます。大西洋とバオバブの原、マングローブ林が自慢。

今週は首都にいるので1日に4回食べようと思う。

Le2Mai2007Mercredi晴
1100で25℃。Dakarに帰りたい気分満載。
1300はFatuのところでご飯だが店の一部をコスメティック店にするとか言っておる。
AZIZはジョアールに行っているようだ。

こっちの学生は幼稚園から高校生まで私服にビブス(スポーツのときのエプロン)を着ている。
で、昼頃に3歳くらいの子供らが幼稚園から出て来るんだが、歩き方が、箒を手のひらの上に立ててバランスをとるのと同じ方法で歩いているようで、自分の意思で歩いているようには見えない。立っていることの一部として歩行がありそうだ。しかし大人は付き添っていない。不思議だ。

今日の昼は何を食べたのだろう?おいしかった。
イノキンのCDの「並ください~Chapter2~」に「お前自分が何食ってるかも知らないの?」とあるが、僕は自分で何を食べているかがわからない。750f。

また、近所のおばあちゃんに
シャツが汚いからついでに洗濯してあげようかと言われた。
流し台が完成するのはもう間近で、水周りが整い次第ちゃんとやります。

Africa Cola 1.26リットル500fを買った。 今までの僕は水不足だったのか?
報告書を少し書く。


Le1Mai2007Mardi晴
1300ラティルに挨拶。
Fatuのところで昼ごはんチュー魚の丸揚げ入り750f 175円。最初2000f 460円と言われたが750fでいいことになった。これは僕の特別メニューなので値段が分からない。

1330食べてcomme j’ai bien restaure.で3km ほど歩いてインタネットを探しに行く。
目印は座礁した船。そのよこに観光用キャンプがある。
浜辺を歩いて行ったのだが、この暑い時間に地引網をやっている。しかし海風は涼しい。
網を引き終わったところには残された直径50cm大のミズクラゲが400個溜まっている。

1400頑張って歩いて観光キャンプに着く。家の周りにはこんな施設が沢山ある。一番近くは歩いて15分くらいのCampment Yokham一泊食事つき17600FrancsCFA。
今日来た Le Royal Lodgeは、租界か!、北斗の拳で言うシティか!、というくらい立派なところだ。
HYPERLINK http://www.le-royal-lodge.com www.le-royal-lodge.com
しかし、どのホテルも
アフリカの大自然が、
雄大な大西洋と
サルム河のマングローブと国立公園が、
何も無いことが    売りなので  インタネットはここにも無い。自宅に引くか・・。
僕の村はアラレちゃんのペンギン村で、どいなか村でも大都会島でもない。

1405来た浜辺を帰る。馬車に追い抜かれる。足跡を追い、馬の歩幅で歩いてみる。一歩が1mくらいはある。足が速いわけだ。
1430頑張って歩いて帰宅。近所の左官、我が家の流し台を作るアルフォンスに会った。パイプがダカールから来るまで作業が出来ないと言う。別にかまわない、僕は4日にDakarに行く。Après mon retour, recommeçons.

小さい魚の浜値はどこの国も安い。数十円だ。網を上げているところを見ると沢山採れるようだけれど、そうでもない。嵐の後で落ち葉を集めるように魚が採れれば簡単だけれど。

イタリア製の蚊取り線香の燃えカスが汚い。蛇玉か!
今日もゴキブリが来た。こいつも元気が無い。

サムライチャンプルー18と8時だよ全員集合3を見る。


Le30Avril2007月曜日晴
昼気温25.8℃暑い
パンとチーズを食べる。
頭洗って 体洗って 洗濯した。
すっきりしてしまえば伊豆にでも逗留してるようなもの。
頭・体洗いにつづき、次回は洗濯について、その次は調理について水の使い方を考える。
排水はトイレを流すのに利用している。
水道代が払えない生活苦、だって水道が無いから。
JICAの関連。
津田梅子つづき。
1330に発信されたSMSが1610に届いた。衛星携帯電話はネットワークを4時間以上探している。
MontpellierのMichaelに電話した。

Fatuのところへ行く前にThiabaのところで水20リットル持ってくる。今の所1日1つに満たないから良くない。衛生的に暮らすには一人1日1つは使う。今後魚が家にきたらモット使う。
Fatuはもう晩御飯を出さないのか?しかし3日前から、日曜日から(日曜は昨日だ)昼ごはんを作って待っていたそうである。明日の昼にはおいでねと言っている。今週はDJIFEREに行かないのでちょうどいいかも。

で、いつものサンドイッチ。青いパパイヤを100f 23円で一個買った。まだ甘くなかった。
帰りに近所のおばちゃんに会ったら「まだじゅくしてないわよぉ~、幾ら?100?普通の値段ね。昼間に6個で500fのおばちゃんが居たのにねぇ」。
僕にだって熟してるかどうか分かるけど、今回は青いのを話の種に買ってみただけだ。種はすぐに芽を出した。
こんな青いものを何に使うんだろう。すっぱくも無く甘くも無い。そんなパパイヤだった。

家に守宮が来た。全長20cmほどの大きいのの他、瀬戸神社にもいた5センチ未満のヤモリの2匹。
他に20センチくらいの蜥蜴が僕の住む以前から4匹。このトカゲは30センチも助走無しで飛び上がって花を食べた。
花には小鳥が来て空中で羽ばたきながら蜜を吸ってる。こうもりが来てふわふわしている。

ソリティア735点

Le29Avril2007日曜晴
夜中、部屋の電気が切れ、携帯電話がひとりでに再起動した。
ゴキブリを退治した。雨季に備えて無視対策を考える。
頭洗いたい。
はじめの報告書をやる。
津田梅子少し読む。
残り少ない虫除けを片付ける。
緊急用に貸し出された衛星携帯電話でSMSが出来ること、そして、GPSが付いていることを知る。家は N 14 00’49、3
   W 16 45’55,55
Google Earthで探してみて。

1900電球を買いに行く、一つ800f 185円だが週末は商売が活発じゃないのでお釣りが無いという。細かいのが有る時に払ってくれとアントワーヌが行ってくれた。
今日の夕方は椰子のお酒で酔っ払ってる人が多い。話しかけてくるからロバの餌の成分をメモできなかった。酔っ払いの友達は「そんなにまじめに相手しなくてもいいよ」と言っている。

Fatuの店は今日は料理を出さない。日曜だからだろうな。なので、アジズのところでチーズを買った。細かいのが出来たのでAntoineに支払いに行く。
パン、粉のオレンジジュース、コンビーフを買う。こんびーふをよく見たら鶏肉と書いてある。
コンビーフでおかゆにした。どうしても米が不味い。不味い。
Montpellierでは上手に炊けたのに、食べて気分が悪い。

夜も報告書をやる。

Le28Avril2007Samedi
1149気温26℃
唯、資料読み。
山本周五郎「ぼろと釵」読んだ。
大庭みな子の「津田梅子」のはじめを少し読んだ。「日本人は時間を守らないし、作業も遅い…」などと今の日本人が外国人に対して言うことが書いてある。19世紀末のことなのに、「日本の古い風習でお赤飯を炊いてくれた」なんて書いてある。21世紀にも赤飯を炊くことがあるけれど、19世紀の人間に古い風習と言われてみると面白い感覚だ。
1900Thiabaの家の前を通ると今日は水が無いということ。頭洗うのは延期する。
機織のおじいさんに呼び止められて、いつも通りに挨拶。養殖試験はもう始まったか?聞かれる。養殖局の都合で今はまだ準備が終わっていないと答えた。この人はおじいさんの中ではフランス語率が高いので助かる。
Fatuのところで白い豆を煮たもの500fを食べる。「豆は腹にたまる。だから、しっかり食べて大きくなんなさいよ!」par Fatu。そしてサンドイッチ半分半分300fを買う。
帰りに先日買ったスプライトの瓶を返しに行った。このおばさんが瓶の保証金なしで売ってくれるのはお金の出し入れの手間を省くためか?

村にはロバの馬車がよく通る。20リットル水タンクを載せて頻繁に通る。
近くのコンビニみたいな品揃えのどこにでもある店の裏にもロバを飼っている。
あいつらの餌は何かなんて気にかけたことも無かったが、店のおじさんに挨拶に行ったらたまたま分かった。ドライペレットだった。魚用は狂牛病の可能性があるからだろうが、家畜に与えてはいけないと書いているものがあるけれど、その逆は無かったと思う。Thiofの餌に2割ほど混ぜられないだろうか?

今日は食べ過ぎた。

Le27Avril2007Vendredi晴
0643日の出、気温22.4度
0818SMSが届く。一番遅いのは4日前に出されたものだ。今の所連続32時間停電。今まで最長。電話もこのところ状態が良くない。
10時ごろJICAが衛星携帯電話を持ってくる。
昼頃にカトリックの診療所と公立の診療所に行く。
そのままジフィルへ行って、ソンコと話す。今日は港の人が僕に好意的だ、なぜだ?
会う人で知らない人が居なくなってきたから?
1400新しいレストランでThieu(1000f高い!たぶんもう行かない・232円おごり)を食べる。
JICAの3人が帰る。僕はやせた印象らしい。

近くの観光キャンプに行ってみる。一泊22000fcfa5100円くらい、人数計算と、バンガロー1件あたりの料金計算がある。サルム河や大西洋でのカヌー・乗馬も出来る。ネットは出来ない。
1500寝る。
1900Fatuのところで今日はスープ。いまは熱すぎて食べられないので、少し経ったらおいでって。
食べて、biskrem300fかって帰る。
今日は電気が使える。隣には新しいテレビのアンテナが付いていた。
電話引こうかな。


Le26Avril2007Jeudi
25日夜中26日の0006から停電。
フランス語の経済続きをやる。
やはり下のほうの塩分を測る道具が欲しいのでどうしようか考える。
1900Fatuのところでサラダ500f。近くでウイスキィとスプライトを買う。750Fcfa。
まだ停電なので、半月の下に椅子を出して涼む。カメルーンにSMS。
餌の冷凍はどうなる?
寝る。

これがセネガル到着100日目。


Le25Avril2007Mercredi晴
ラミンはジフィル漁民の代表だが、漁師会議はあるんだろうか?
今の所人の名前を覚えるのに精一杯で、その人の仕事まで立ち入っていない。
こっちの組織は大家族、部活だ。なーんかのんびりしている。
部活だから僕は個人練習(自主練)に励む。周りの人にはそそっかしやさんが多いから自分で何でもやろう。移動距離を伸ばす。   自主練 の変換が 自主恋 だった。

近くのサンドイッチ300fをいつも通り買いに行った。パンにはさむものが、ツナと豆を煮たものがあったので、半分ずつにしてくれるように頼んだ。身振り手振りと子供の通訳も入って通じた、と思ったがパンを開いて下のほう前面に豆を塗った。違うぞ、しかしひっくり返してツナを塗ってくれた。僕が行ったのは右左半分だったしおばちゃんの身振りもそーだったのに。

そういえば、まだジフィルでのチョフの値段1キロ2500fだということを1度聞いたきりだ。
  則躯技(スポーツ)したい。
2300気温23.8℃


Le24 Avril 2007 mardi晴
1200パンを買いに家を出たら近所のおばちゃんが挨拶だけではなく更に話しかけてくる。珍しいな。しかしウォロフ語が分からない。おばちゃんはセレールとウォロフのバイリンガル。

 分かった単語は。
「   あんた  家の中  電気 来た  私 ここ  今日 今日  見た  電気 お金  お金 私 あなた  家の中 お金 電気  シャツ 洗う 汚いシャツ」


 20分後には意味が分かった。 近所のおばちゃんが言いたかったことは

「あんた家の中に居たの? 電気屋が来たのよ、私がここで話をしたの、今日よ、今日会ったの。電気屋さんがねお金、集金よ。私が話したの。家の中に居たの?電気屋さんが集金に来たのよ。ところであんたのシャツ汚いわね誰が洗ってるの?私が洗ってあげようか?」

○おばちゃんは、僕がいつもどおりにジフィルへ行ってると電気屋に話してくれたのだろう。

先週から近所に住む2人のおばあちゃんが、口を揃えて シャツが汚いから洗ってあげる と言う。この意見により、僕のシャツが汚いのは先週から確定している。でも、風通しのいい化繊のシャツを好んで毎日着ている。洗濯すれば3時間で、北緯14度の太陽は乾季の風と共にシャツを乾かしてくれるのでいつも同じシャツを着ていられるんだ。ただし洗濯するのは僕だ。
近頃は僕の体も 「日焼け」か「砂まみれ」か判らない外観。そんな奴が洗濯しているが、心配要らない。セネガルに来て風邪はひいても、まだお腹を壊していないので清潔にしているんだろうと思っている。  金曜日に健康管理員さんが家を見に来るが、心配ない。


ちょっと街にでると、外国人には金目当ての人が寄ってくる。そんな外国人が 黒人にはうんざりだ という考えに取り憑かれていたら、
さっきのおばちゃんの単語を集めて、否定の印象を補強できる。

「あんたの家には電気が来ている。私の家この小さい家。今日も私は電気を見た、あなたお金持ってきたんでしょ。あなたのシャツ洗濯する人を雇ったらいいんじゃない?」


電気屋の兄ちゃんに この村にはいつから電気が来ている か聞いてみた。フランス語で。
「2年前、、、2006年かな。」
  今は2007年4月だから。やっぱり他の人々が言う「半年とちょっと前」が正しいのかな?

電気屋さんでも電気について、最初に正確な答えをするとは限らない。言い直すことは誰にでもある。だから人の話をちゃんと聞くのは難しい。 他の日本人の皆はどうしているんだろうか?誤解と戦いながら生活しているのか?
1252で28℃

フランス語のお金の仕組みの本を勉強。
アルフォンスが来て流し台を作る。しかし彼の弟(37歳くらい。エコツーリズムの仕事をしているらしい。ギニアとか他の国にも仕事で行くと英語で言っている。)が乱入してきて仕事の邪魔をする。しきりに英語を話したがる。この人が居ると一時的に盛り上がる。しかしうるさいのでつまみ出した。やっと開始。
今日は子供たちも手伝うが、犬も入ってきて出入りが多い。犬はすっかり伸びきって寝ていたが17時になると日が陰ってきて、犬がだんだん丸くなっていく、ついに寒くなって出て行った。

深呼吸したら風邪っぽく少し苦しい。
いつものFatuのレストランに行く500fの豆と肉を今日は少な目の香辛料で煮たものとパン。
今日話をした中で、挨拶はセレールだがウォロフに集中しようと決めた。

Azizの店はひっそりしている。中をのぞいたらACミランとマンチェスタUの試合がやっている。白黒テレビを車のバッテリーに繋いである。前半で2-1だった。 AZIZの家にはカラーテレビがある。

Le23Avril2007Lundi晴
0900気温23.7度。
タクシーブルスでジフィルへ行く。なんとなく「定員」という言葉がここには無いような気がした。だから定員オーバーも無い。今日も乗用車に助手席2人、後部座席に4人そして運転手が乗る。
そしてこの車のスピードメーターも動かない。ダカールを離れているときは舗装道路の上を通る事が無い、スピードメーターが動く車に乗ることが無い。でも運転は都会の者よりも安定している。道に慣れているからだ。道の右側だろうが左側だろうが問わずに砂が適度に被さっている振動の少ない道を通る。都会から来た車は視界が開けているのをいいことに速度を落とさないので天井に頭をぶつけることもしばしば。

Sonkoに挨拶。
ラミンに会いに行った。いまさらながら温度計、酸素滴定道具を見せてもらう。
10mlビュレット2箇所折れ、テープで止めてある。口で吸うピペット10mlも同様にテープで止めてある。ピペットのゴムが乾燥でひび割れ、カビが生えているものもあり2本中2本変質。手規定の容器は汚れているので洗う必要あり。試薬は何かが沈殿している。ごみか?ごみだ。
ラミンは生簀に行くのに往復燃料1000f、ピログ(カヌー)準備に400f、そのほか人件費などかかると話してくれた。12月・1月にEpinephelusAeneusは1キロ10000Fcfaでヨーロッパに売れる。
時々サルム河にはイルカが来るし、海がめも来るらしい。沖には鯨がいると言う。
稚仔魚を獲りに行くためのピログがDakarにある。取りに来て欲しいと電話があったようだ。行くとなるとDakarからNiojorまで海路になる。昼ごはんにチェブジェンをご馳走になる。
今日は電話が通じる。

ガラージュ(terminus)でこの前Dakarまで乗り換えの面倒を見てくれた何とかさんと会い雑談。彼はDjifereの交通に詳しい。

タクシーブルスでCampment Yokkamまで帰る。近くでインタネットが出来るところが無いか聞いたら「少しいくと大きいホテルがあるからそこに聞いてごらん」。そこなら知ってる。歩くと遠いがいってみよう。砂浜を歩いて帰る。

1430家に帰ってから、ラミンの手数料の計算が細かすぎるし、DPCAの支払いが大雑把で田舎の物の値段を調べてないようなので、何か言ってやろうと思い調べ物をする。

1800風邪薬飲んで寝る。
1900いつものfatuのレストランでスープとパン5oof。Azizの店でミネラルウォーター5リットル900Fcfaを買う。西の空を見ると聖堂の十字架と椰子の木、夕日のオレンジと空の青に半々に染められたうろこ雲が大西洋上に掛かっている。「この雲に呼び名は有るか」聞いた。「特に無いけど冬の初め寒くなるに従って雲がどんよりと覆うよ」と教えてくれた。
アフリカは年中暑くて雨季と乾季しかないと思っていたけど、色々あるらしい。


Le22Avril2007Dimancheはれ
教会の鐘は聞いたが起きられなかった。
風邪。太陽は熱いが、風はちべたいので調節が難しい。この気候に対すべく、セネガル服を用意しなければならないだろう。

頭洗う。山本周五郎の本。
早く流し台が完成するのを願う。からあげたべたい。まんが「まさしくん」の先輩みたいな食生活。
鳥越俊太郎の本。

Le21Avril2007どよーび晴
村上陽一郎のほん続き。たいそう。丸二日携帯の電波が無い。
1600 シーチキン450g缶詰開けてスパゲティ茹でてみた。
日本の生活は食べすぎだ。山盛りの日本料理って想像できない。

    朝少し、昼沢山で夜少し  の食事がいいと思う。
  朝6時の量、昼は13時30分の量、夜は23時の量 をそれぞれの食事の時間に食べる、と言ったあらわし方でどうだろうか。

どーぶつが餌をとる時間帯があるように、お日様の光かなんかに影響されて、人間にも沢山食べる時間帯があるとおもうよ。これは 沢山食べる と言うよりは「沢山活動する」時間帯にするべきなので、「いつもより早めの量」の朝ごはんがいいと思う。

太鼓の音が聞こえる。移動しているが獅子舞か?でもこの前は子のダンスに、女とちびっ子等しかいなかった。
HamadことJedFIXが訪ねて来た。アメリカの国際協力ボランティアが居るところは生活環境が厳しいとうわさになっているが、そうなのかな?Jedはいつも空元気。僕がmeとかthemとかを言い換えるだけで喜んでくれる。英語の先生をしてる彼にとっては母国語を人が話すのを聞くのはうれしいのだろう。

もうちょっとネタを仕入れてから外へ。

風邪を引くと文句ばっかり書く。
Le20Avril2007Vendredi
横浜の花火大会入場申し込みのはがきを出さなきゃいけない夢を見た。
その頃の予定は・・と手帳を開いて あ!帰れないじゃーん。なぜならここはパルマラン グヌマンだから、で夢から覚める。
Montpellierに居るときも 「朝起きる あ、寝過ごした、学校行かなきゃ、弘明寺から電車に乗って、飛行機乗って・・シャルルドゴール空港について・・  ・・  今日中に学校に着けない」という夢を見た。建て替える前の弘明寺の家から心は離れていない。夢の中ではその2階のトイレの窓から出て上に登ると「自分の家」がある。そこには自分の「趣味を物にした形」がいっぱい散らばっていた。

きのう貰った果物食べ、今日のメインは 「家での生活」。
一昨日から携帯の電波がほとんど無い。電波があるときには、ここぞとばかりにSMSを送ってしまう。
やっぱり体調が良くない。
1134気温27.1℃日陰は涼しい。

水15リットル位で体を洗う(洗髪には別に15リットル使っている)。今回はきれいに洗えた。
現代の日本人は流水も溜め水も上手に使えていないと感じた。うちのばぁチャンの世代までが流しの中に桶を入れて食器を洗っていたと思うが、今の人はそうしないから。

必要な道具:水タンク、
      たらい、
      日本手ぬぐい2本(ハンドタオルとタオル)、
      手桶。

水を2リットルくらい桶に入れる。手ぬぐいをたたんで濡らし、それを使って体を濡らす。
次に石鹸を泡立て、体中を良く洗う。
桶に水を足し、手ぬぐいで水をすくうようにして体の石鹸を洗い流す。
桶の水を入れ替える。そして、手桶を使ってきれいに流す、ここで初めて流水を使う。
体を拭く。
夏の間に5回はやってみよう。そして水について、利用可能な水について考えてみよう!

洗濯する。

氷は過冷却とかと別に氷7まであるらしい。
Thiofのえさは安いときに買って冷凍しておきたいとDPCAは言っている。
もっともだが家(うち)は週3日は停電するよ。

村上陽一郎の本を読む。「否定の力は肯定の力より強い」ってのが改めて考えると面白かった。
かぐや姫以外にわがままは止そう。蓬莱の枝が無いことは、「蓬莱の枝が有る」条件を崩せばそれでいい。蓬莱の枝が本物ではないことをいえればそれで十分。
民主党の「メールが本物ではないことを証明して」と小泉自民党に言ったことを思い出す。

フランス人はフランス語しか話せないから早口もフランス語だが、セネガル人はwolofも話すので早口になるとウォロフ語に変わる、この国で早口のフランス語を聞くことは少ない。だから、フランス語圏といえどもセネガルでフランス語上達を期待しても限度がある。協力隊のほとんどはフランス語が分からないのでセネガル人位に上手に話せるようになると期待している人が居る。けれど、セネガルに居るからには現地の言葉に期待した方がいい。今日はassaisonnementが通じなかった。

隣村に住んでいるフランス人が、フランスにSMSを送れる事を教えてくれた。うちの村はORANGEよりもtigoが強いらしい。でも昨日からまったく電波が通じないので、きっと工事をやっているのだろうと期待している。

東京タクシー近代化センターというところがあって、タクシーに忘れ物をしたときに対応してくれるらしい。

いつものレストランのおばちゃんが料理しないのかいつも聞いてくるから、これからは料理しようと思う旨を伝えると、幾らかで特別に準備してくれるようなことを言った。この店に定期的に来るのは僕ぐらいのもんだから居なくなると店じまいになっちゃいそう、そうなると僕だって困る。こうやって話すと、暮らしやすい環境になっていくものだ。

青っ洟たら垂らした2歳くらいのこどもが僕の手にキスしてくれるので困る。10歳くらいの子の中には親が見ていないと金をくれという奴も居る。しかし、大人はこれをいけないと教えているようだ。今日の子の言い方は「僕になんかあげたいっていう気になんない?たとえばおかねとかー」と、今までの中では一番遠まわしな言い方だった。孤独が闊歩する都会では「50franc!」と言って手を出す、直接的なやり方が多い。僕の村では遊ぶときは汚い服で、学校・教会に行くときはパリッとしている。どの子にも親が居る。
 近所の10歳くらいの女の子は「プレゼントは?」と言って子供たちの真似をすることを、僕との挨拶に組み込にながら、僕への挨拶を楽しんでいるようだ。

道端のバナバナと呼ばれる物売りはちょっと昔の駅弁屋さんみたいに店から品物を持ってきては大通りで車に対して商売をする。なんかくれと言う子供らは、ギブミーチョコレートと言っていた子供らと同じようなものなのだろうか。
Michel SardouのJE VOLEを聴く。別に日本の歌が懐かしくなることも無い。

日本の歌も元歌が分からない。どういうことかというと、春ーは 名―のみーの風―の寒さやー  と聞いてもオペラバージョンだったり編曲編曲で、元がどんな曲だったか分からない。それなのに作詞誰・作曲誰と書いてあっても編曲誰とは書いていない。日本の童謡が始めっからオペラだったはず無いのに、民謡歌手よりもオペラ歌手の方が偉いといわんばかりな音楽家によるアレンジは悪。
字面の上での翻訳だって難しいのに、音域や楽器編成を変えたくらいで編曲が成り立つもんか!
 誰かが「ままごと」のmamaはママ(おかあさん)のことだと言っていたけど、何で日本の子供の遊び名が外国語を含んでいるのか??まま=ごはん、の方が普通じゃないか。 「親」という字は子供を木の上のような高いところからしっかり見張っている人…なんて聴いたことがあるが、国の元字が「國」のように、「親」の元字は 立 のところが 辛 だったというのを聞いたことがある。
木に辛、つまり香辛料を乗せて見ている人。⇒お香を焚いて先祖に祈っている人が親だって事らしい。
 野球を知らないアフリカ人に野球道具を渡して「これで遊んでください」という番組を見たことがある。彼らは2組のグループに分かれてグローブを頭に乗せ、バットを持ってお互いに陣地を片足とびで行き来してボールは使わなかったと思う。僕は自分の使う言葉の出所を知らずに、何の道具か知らずに使っているから意味がはっきりしない。日本語は簡略化されすぎ。
仲間内で通じる暗号を作ろうとしたけど外国語を勉強するより難しいと思ってやめたのが小学校2年生のとき。簡単な通訳ならいいけど、ちゃんと通訳したかったら元の言葉がしっかりしていないといけない。昔は方言がはっきりしていたから意味の違いに気づきやすかったけれど、今はテレビで学んだ同じ日本語を、方言の地域ごとの少しずつ違った意味合いで使ってるので分かんない。この村でもウォロフ語・セレール語・フランス語で同じことが起こっている。
 話すのは津軽弁だけの年寄り、別の土地の人には方言訛りの標準語をしゃべる大人、上手に標準語を話すが方言が分からない中学生。ここPalmarineの暑さは焼けるような暑さで、あつくてあめるのでなければ、うだるような暑さとも違う。23時52分の室内の温度は25.8度で涼しい。年寄りが面白い話をしてやってるんだろうか?もっと子供を子供だましすると、楽しいし、言葉が残るからやったらいい。日本の夏は甲府盆地で35度越えるときもあろうから大変だ。
ゾマホンの本に「男親が子供に教える大事なことは命令」とあった。命令ってもんがあることをおしえるんだそうだ。ん~。

子供には子供のおもちゃを与えればいい。Par子供だましつながり。
「せんせいがこどものときかいじゅういた?」という本の内容に自分も心当たりがある。子供は昔と聞けば10年前も600年前も100万年前も同じ昔だ。きっと、帰納inductionも演繹deductionもabductionも上手ではないから。

多分アフリカには流水が無い、日本は流水文化でこっちは溜め水文化じゃなかろうか。
近くにあるサルム河は川幅2キロくらいあって、僕の言いたい流水のイメージとは違う。これだけ大きいと水路じゃなくて別の生き物の生活区域だ。
        行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず なんてアフリカにあるんだろうか?雨季に有った川が乾季に無くなる事も多いので、この辺じゃぁ行く川の流れは絶えることがよくある。

国民健康保険は海外に居る間は入れないけど、JICAでは代わりに診療費を払ってくれているんだろう。こっち方面の資料も多い。

Le19Avril2007Jeudi
Francis、quand tu étais à Shimotakaïdo tu étais souvent au reutau de brochettes Yakitori. Ici à Palmarine gounoumane, je mange dans un petit restaurent comme lui.

日本だったらお母さんと子供が居て他に部屋が無かったらお父さんはこの家に居ないのかなと思うが、この国は一夫多妻の場合があって、お父さんの家は隣の家だったりするからややこしい。村の一区画が一つの家族ってこともある。昔か!
1015気温25.1℃。
1255Directeur達がうちに来てDjifèreへ出発。
待っている間に作った 板5枚を紐で繋いで縦に垂らしてあって、上の一枚を180度傾けると、下の板がそれぞれ順番に半回転するおもちゃ ぱたぱた を見せた。誰が見ても仕組みは不思議なようだ。Cartonで作ったから風で揺れてしまう。

1304到着。Lamine、Sonkoも加わり会議。今回の試験の9月までの大まかな計画と契約。お金の計算はこれから具体的にする。

EXECUTION DU TEST DE GROSSIEMENT DE THIOF №2BIS
Calendrier des activité à réaliser de Mai à fin septembre 2007
DPCA主体でJICAはあまり触らない計画なのに、唯一触れるところで僕の安全講習の予定とJICAの施設撮影の予定が早速かぶってる。
今は潮が高い。道が水没するんじゃないの?なんていつも思う。街路樹がマングローブな訳を実感。



1515会議終わり。
1606家の村の漁師(彼もBabacar)にあって皆はDakarへ帰る。局長に紐の結び方を一つ教える。局長「村では果物は手に入らないだろうから」とみかんとメロンを置いてってくれた。ジフィルではバナナもみかんも時には小さめのりんごも売ってるがここにはない。時々すごくいいニンニクとたまねぎを見た。
局長は若い頃5年間ほどソ連に留学していたので、ヅトラストヴィーテェとダスビダーニャで挨拶をする。
6月になって作業が単純になる頃にはファティックやニョジョールにまで漁師と行って。彼らが何でこの食生活で体ががっちりしているのか観察する。
まだ、周りを見てアフリカ関係の本を読んで、同じものを地元の人はどう解釈しているのか教わってるから活動範囲は家の周辺から出ていない。Dragon Quest IIIで言うと北の村まで行ったけどなじみの塔には行ってないくらい。

Thiabaの家にメロンを一個置いてきた。「今日はリッチね~」だとさ。「あんたの服汚いから置いてきなさい、洗っといてあげる」普段は一番汗の引きと風通しがいいシャツを着て活動している。だから同じシャツばっかり着ている。しかし、ちゃんと洗いますから、自分で出来るから。でも昼ごはんには時々呼んでね。
1900いつものレストランに行く。「今日は疲れちゃった」とおばちゃんが帰るところだったので、azizのところで角砂糖1kgとニンニク一個650f・151円買う。やや中身の薄い良く膨らんだフランスパン1本150f35円とガゼルビール800f(瓶の保証金200f)185円を買う、家の村でも冷えたビールくらいある。ワインだってウイスキーだってある。

今は20時ごろが 黄昏時(:野球してるとボールが見えなくなる時間帯)で子供らの遊びが佳境に差し掛かっている頃。
今時分に家を出ると、うちに手伝いに来てた子達はその遊びの勢いのまま僕に対して挨拶をしてくるので、投げつけられた挨拶を僕は千切っては投げ千切っては投げる。鬼ごっこみたいな(猛ダッシュする遊び)の近くを通ると、勢いそのままに跳び付いてくる子も居る。足元が砂地なので、元気なときには右下手投げ・引き落とし・内無双で返してみよう。
DR.ベルナールがまた酔っ払ってる。Dispansaireではちゃんとしてるのに。飲むなら家で飲め!そのうち診療所にいって雑談してこよう。
2030頃 寝る


Le18Avril2007Mercredi晴
今日は休みにする
我が家のサロンで日焼けをしてみる。うまくいった。
ドラえもんの泉のはなし:「あなたが落としたのはきれいな方のジャイアンですか?汚い方のジャイアンですか?」「こっちの汚いのです。」「正直なのできれいなジャイアンをあげましょう」 を読む。
寺田寅彦の「手首の問題」と「からすうりの花と蛾」を読む。

1630アルフォンス(たぶん)が流しを作りに来る。オシン(椰子ジュースのお酒:ここはイスラムだけでなくキリスト教徒も居るので酒飲んでもかまわない)を飲みながらの作業。「10歳の子供だって少しなら飲むよ」ということ。日本じゃお酒は20歳からだよと言った。タバコは1900年明治33年以来20歳かららしいが、それは言わなかった。
いつもの子供らが手伝う。JeanEmileは愛想がいい。でもオシンは飲まない。
Renéは15歳だそうだ、小さいけどな。

ラティル(60歳くらい)にDjifèreでの仕事を説明する。僕はセレールが挨拶しか分からない。ラティルはほとんどフランス語を話さない、でも分かっている様子。この辺の人はフランス語・wolof・sereerの3つが分かるけど、村ならセレールを、セネガルでならworofを勉強したらいいよ。と言われるが、簡単ではない。ついフランス語入りwolofを話す。フランス語も変になる。とりあえずどれを勉強するか1つに決めよう。
昔の人は半農半漁の生活だったそうだ。昔は大きな魚がいて、釣りや銛で漁をしていた。鯨も居るよ。

工事のために扉を開け放っていると、3・4歳の子供らが家に入ってくる。
勝手にたのしそうにしてるけど、ひとんちに無断で入ってはなりません!たのしそう。更に図々しいのは山羊の親子で当たり前のようにあちこち進入して食えるものを喰っていく。

ソンコ(漁港の管理・取締りをしている公務員でマリックの上司)が来た。きょうはfimlaに行って来たということ。明日DPCAの局長が来て明日から新規事業を始める。つまり僕は今日も休んでいられない。保険のためのバイクの免許について聞いたら「交通取締りの事務所はFatikにある。免許は調べて、うまく行ったら採って来てやる」???僕は無試験なのか?国際免許もあるしADナンバー(MissionAdministratif政府公用車)なら免許は要らないけれど。分かる人に話すと話が早すぎるところが、情報が広く行き渡らない原因なんじゃなかろうか。適当に手間が掛かっても誰でも知っている状態が望ましいのだろうか。

1920流し台の配水管を繋ごうとするが、セネガル人はパーツを組み立てるのが苦手のようだ。ババカールが机を組み立てられない、左官屋がパイプをつなげない。図工の授業って大事だったんだよ。きっと。

1930いつもの「レストラン」で食事レンズマメを煮たものとパン500f、116円。ゆで卵は無いのか聞くと「、あんたのために明日特別にやったげる」と言ってくれた。料理しないのか聞かれ、「流しを工事中だから」と答えた。
アジズの店で粉ミルク700gとビスケットBiskrem500kcalを買った計1500f、348円。
しばらく見なかったマルババーがいた。ダカールに行っていたそうだ。復活祭の休みのために貯金を持って実家に帰っていた。

2110-2204停電。
西には大西洋、今日はたぶん新月なので、西に明かりがなければ、空に見える明かりはすべて自然光だ。死兆星まで良く見える。気温25.8℃。波の音を聞きながらそれこそのっぱりくぅ。のっぱる、のっぱる。

今日も電波が悪い。
おもちゃ「ぱたぱた」の構造解明。
六国史の終わる9世紀末・10世紀はじめ頃から個人の日記が登場する。
男日記と女日記があり、それらは漢文と仮名の違い、また、日々の記録と記録に加え日々の内省も含む文章であるという違いがあるそうだ。

他の隊員たちは休みの時期にはセネガル国内旅行をしている人もあるが、僕はBaobabCenterで現地語の授業の基礎を受けようかな。
あと3人集めて15000Fcfa÷4人×2時間×3日=22500f  一人で授業受けると90000Franc cfa20,855円だけど、4人なら5214円で済む。
 初日1時間授業・昼ごはん・インタネットで帰ってくる。
 2日目2時間授業・昼ごはん・ネットして帰ってくる。
 3日目2時間授業・昼ごはん・ネットして帰ってくる。
 4日目1時間授業・昼ごはん・勝手に卒業式して勝手に卒業パーティー。
              こんな予定でどうだろう。



Le17Avril2007晴火曜日
1000頭洗う。使った水は15リットルくらい。皆も夏になったらやってみよう!
気温24.4℃。
1200米を炊く。濾過して何時まで経っても茶色が抜けない水と、屑米だからおいしくないのか?そもそもまだ我が家には砂糖と塩しかない。流し台の工事が済むまでは埃がいっそう多いから活動が鈍い。
昨日の本読み終わる。で別の報告書続き。作業が簡単な生簀案作り。
1900スパゲティーをゆでる。この日の食事はセネガルに来て初めて完全自炊だ。
今日は昼間は電気が無い、電話の電波はいつもどおりあまり無い。
電波が無いと携帯電話は電波を探して出力を上げるから、電池が早くなくなる。なのに停電で困る。フライパン・へら・胡椒・砂糖・粉ミルクを買おう。
当たり前だが夜は暗い。ろうそくの明かりで本を読んだり、電灯で読んだりしているが、すごく疲れるので昼間しか読書が出来ない。昼間は別のことをしたいが。
生簀の構造の図を描く。

Le16Avril2007Lundi晴
1030起きる。夜寒かったか?体が硬いかも。
中西準子の本の続き。我が家とこの辺の水を考える。何も、ミネラルウォーターで、飲み水で体を洗うことは無い。
真水で海水魚を飼うことも無い。つまり、どんな質の水がどれくらい必要なのかを知らなければ、期待される浄水の程度が分からない。
何でもきれいな水を1度使って排水溝に流すのは良くない。水が高い所から低いところに流れるだけなら、山に降った雨は土壌にしみこんで海岸で海に注ぐ。しかし実際は地盤の変わるところで適当に陸上に湧き出て地表を流れるから利用できる。高地で出た排水は、浄化して農業・工業用水として上手に使いまわさないと、海に入る前にもう一度湧き出さないと、水が無駄になる。
1200スパゲチィーをゆでる。
悪夢にうなされるの「うな(魘)される」ってこう書くんだろうか?
消耗:この字はショウモウと呼んでいるがショウコウが本当らしい。
憧憬:これはショウケイ。
「○○と△△の活動を統合したことで1+1=3にも4にもなると言う相乗効果が両組織にもたらされた」みたいな文章。
 加減乗除 と言った時に 乗 は掛け算なのに、1+1で何で相乗効果なんだ?+は加法(足し算の記号だ)
1407流し台工事が来る。「あ~、Khalifaは独身か~」なんてまた言ってる。
ラティルも掃除する人を雇ったらどうだという。何も無い我が家を眺めて「お前なら家事をして欲しいという下心があって嫁さん貰っても許されるだろうに、探してやろうか」
1630工事終わり。本の続き。浄水施設のところまで読む。
1900パンを買いに行く。フランスパン一本豆のトマトソースサンド600f100円くらい。1本買ったら腹いっぱいになるかと思ったが、腹に重い。もう止そうと思う。
いつもパン屋のおばちゃん(フランス語を話さないでwolofを話す)と話してる兄ちゃんは小学校の先生だそうだ。結局セレールは分からない。
気温26.3度風が吹くと寒い。
明日はソンコに免許のことを聞きに行こうかと思うが、会議が・流しの工事が・・と思うと家で資料読み(なんでこんなに有るんだろ)、或いは作り、或いは翻訳。


Le15Avril2007晴日曜日
0847気温24.6℃
0930教会。黒人の神父さんは主にセレールで話しているようだ。
1030礼拝終わり。今日はご近所さんに沢山会った。この教会は2回目。
近所の、カトリックの診療所で勤めているおばちゃんは「ぜんぜん分かんないでしょー」ってガンガン話してくる。いいおばちゃん。
インスタントコーヒーとBiskremeを買いにアジズの所へ。「昼ごはんどーすんの?家に来いよ」って言ってくれるけどためらう。
近所の子が折り紙教えてくれと言って来た。紙を四角く切るよなんて言ってる間に居なくなったぞ、子供は忙しいのだ。
セネガル水産レポートを読むとあっという間に19時。
1900レンズマメを肉と煮たもの500f=118円を食べる。人んち以外ではこことサンドイッチ屋しか選択肢が無い。水の使い方が分かり、流し台が出来たら料理を始める予定。

水浴びしようと20Lタンク(50f)を持ってくる。湯を混ぜて温くしてみると、なんとボウフラがいる。仕方が無いので行水はやめて髭剃りだけにする。残りの水ではごみは見当たらなかったが、こんな風では 顔を洗ってるのか目にバイキンを擦り込んでいるのか わかりゃぁしない。
体の洗い方を変える! 水道が欲しい。この国には井戸があっても共同洗い場、共同浴場は無いのか?

僕の生活は江戸っ子と比べてどーなんだ?冷蔵庫と電子レンジも欲しいかな。
養殖実験が始まってしまえば作業は単純になるのに。生活する時間が出来るだろうに。そんなこんなで22時。
伝統文化って 昔からの娯楽 のことじゃないぞ。 漁師集団の中に居るときは文化の中に居るようで安心するけど、村に帰ってくるとカトリックが濃くて、しかしアフリカで、「都合のいいことばかりが不便だ」。村中皆が知り合いなので気楽だけど。
ここは休日なら快適なんだけどなー。

この辺の人が
水道(最近隣に蛇口が着いたが、まだ使ってない)
冷蔵庫(ある家は多い)
電子レンジ(無くても良い)
洗濯機(無い)
テレビ(お隣さんが見せてくれる)

物が無いだけ?買えば済むのかな?
 お金で解決できるんならそーしよう。頑張って済むならがんばろー。
中西準子の水の本では1人1日に250l使うらしい。僕が欲しいのは きれいな真水の流水。

Le14Avril2007Samedi晴 この国来てから今までずーっと晴
0930起きる、やっと起きる。
掃除、風邪薬、掃除をするとすぐに昼になる。夜に砂がたまる日は大変だ。コーヒーだけ。
1400寝る。
1600起きる。網の模型を作る。
1930スープ500f、チョコ入りビスケットbiskrem100f
セレールを話すと喜んでくれる人、または人の顔見るなりフランス語が出来ないだろうと思ってなめて掛かってくる人、アフリカ人も様々だ。
2030停電。ろうそく灯してゾマホンノホンを読む。27℃風は涼しい。


Le13Avril2007Vendredi
0700おきる
0900起きる、掃除、昨晩買ったパンとコーヒー。中谷宇吉郎の本、調理師の本を読む。食品衛生は今の我が家では保てない。そして村には食堂が無い、家に水道が無い。
1607近所の左官屋が流し台を据えに来た。近所の子供が手伝う。RENEとJEAN-EMILEとBERNARDルネ、ジャンエミール、ベルナールの三人。3人とも写真でよく見るようなアフリカの子供だが、この村はカトリックなのでこんな名前、僕はハリファ・ディウフというイスラムの名前。妙だ。
1900流し台の作業終わり。サンドイッチ(今日はレンズマメをトマトで煮たものをはさむ)300f=70円くらいか。インスタント味噌汁2つと味付け海苔2つにトウモロコシの缶詰。何でこんなに食べたかと言うと、健康管理の本や調理師の本に

「一日に人間が必要な水100L。気温25度くらいでは少しづつ気にならない程度に汗をかく、そして塩分が失われ、ミネラル減少で胃酸の分泌が悪くなり食欲が落ちる」と書いてあったからだ。

僕の体重は68kgくらい。セネガルダイエットするつもりではいたが、水道は欲しい。
2100調理師本を読む。26.6℃涼しい。


Le12Avril2007Alxames晴
0700起きる
0830バスに乗ろうとする。マリエムが居たので一緒に行く。
1100DPCAのスレイマンも一緒に行く、局長は来ない。スレイは初めてのジフェール。
1300MBOURでヤッサプレ:鶏肉の焼いたのをたまねぎソースをつけてご飯に乗せたもの、を食べる僕は支払ってない。
ここからジョアールまでに自然公園がある。いつか行ってみたい。
1500Djifereに着く。ジョアールから先はセネガル人でも辛い道程だ、スレイマン泣きそう。気をつけてお帰んなさい、君のような都会っ子は僕の村には住めまい。
ラミン、ソンコに会って話し。今後の予定。来週には局長が来て方針決定をするようだ。準備しておいた意見を話してメモを渡した。前回のメモはいつの間にか採用されていた。いつの間にか使われると次の準備に困る。
1700みな帰る。
1900Thiabaと折り紙した。10分後くらいに停電。
“オムレツ”玉子焼きを作ってくれると言うことになって玉子を買いに行き、それで晩御飯を済ます。
2300停電解消。気温27,5℃と涼しい。

Le112007AvrilAlarba晴
0830起き、全自動洗濯機による洗濯、水道から出る水によるシャワー、寺田寅彦は のつづき。
昼ごろ 米を炊いてみる。ふたがコトコトいったら中火で5分更に弱火で5分、10分蒸らす。そのようにしたが60点。村に行ったらくず米しか売っていない。
1900capsud向かいの店で食事500f=118円くらい。いつものおじさんは旅に出ているらしい。


Le10Avril2007火曜晴
0900NHKラジオ聴く。
1000ATLAS SENEGAL(地図帳)を読む。
1100DPCAに電話して局長の予定を聞く。
1230EL MANSOURチェブジェン350f=83円、今日はチュー(ハヤシライスみたいな奴)も有った。
夜に近くの赤いレストランでブロシェット2人前買って帰って食べた。この肉は焼くと食えない、煮ると、スープに入ると軟らかい。ここでは鶏肉を食べた方がいい。
ショーコと話す。
寺田寅彦は忘れた頃にやってくる を読む。


Le9Avril2007月曜 休日
0900おきる喉痛い。勝山ノートをワードで打った。
1225ネットに行く。養殖局局長と話したいことをプリントする、1枚300f、高くないのか?70.8円だなんて。ネット3分250f。そのあとでFOIE(肝臓)サンドイッチ700fcfa=165円。
1452連絡所に戻る。
夜 みんなでうどん。


Le8Avril2007日曜晴
0630起きる
1000教会へ行く。
1209イースター礼拝から帰る。デンマーク、中国などと魚関係の仕事をしてる人と会った。
1240EL MANSOURでCEEB JËN350f。テレカと水と150fのcolaコーラを買う。
夜連絡所に人が多いのでビールを飲んだ。リゾット、チキンナゲット。


Le7Avril2007土曜日晴
0700起きる、腕立て伏せ。ゴルゴ13読む。
昨日の会議からこれからどうするか考えてセレールでもやろう。
1034パソコンで知ってることのまとめ。DPCAに手紙でも書いてみる。この夏どーすんの?
1300EL MANSOURで350franc cfaのceeb yappおいしい。(fcfaは旧フランス領8か国、セネガル、マリ、ニジェール、ギニアビサウ、コートジボワール、ブルキナ ファソ、トーゴ、ベナンの共通通貨。1euroは655,957で固定)
ガーディアンと話す。
本を読む。
1600寝た。
1800おかゆを炊いてみる。
2100スパイゲームがテレビでやってる。
ゆっくりして寝る。


Le6Avril2007Vendredi晴
0700起き
0830マリエムと4番バス150fでDPCAに行く。なかなかバス来なかった。
0900ごろDPCA着く。
1000JICAかとう・おのと○さんが着く。Babacar来ない。遅れて会議(活動報告)始まり。
しかし、網交換が規定どおり成されていなかったこと
それが原因と思われる網破れと魚が逃げたことがあってはそもそも試験養殖どころではない。
ぼくは、漁師さんの都合と魚の様子を見ながら、かなり自由に海上に出てもいいし、そうしないと試験にならない。と感じた。
LAMIN達漁師の手助けが無いと活動できないので僕が張り切っても孤独になることは無いし、いつも昼ご飯ご馳走になる時に話題が出来ていいだろう。
養殖試験場選定の際に海況データは取得済みでの生簀設置と半年間の試験があったはずだが、いまだに データが無い だなんて言葉を聞く。どーいうことだ?
継続計測は大事だし、暇だろうからなーんにも物が無いけどやっておこう。海にいるのも悪くなかろう。 データを見て この患者は出来が悪い なんていう小噺にされないような結果が欲しい。
Thiofは1kg-2kg・2-5・5-で値段が決まるようなので、1kg目標といわれているが2キロになればいいから、夏季試験も小規模で遣りたいというDPCAの意見はわかる。それに3きろからthiofはオスに変わり始めるので、うまくいったら親魚確保にもつながるから、マスダの一番の成功例図には夏もひつようだし、もちろん漁師は夏の間も生活している。
最近は言葉もわかるし、泳ぎも覚えて漁師体型になって帰国すれば「途上国」でやせ衰えることも無いでしょう!健康第一。 僕の家は今のところセネガルの同僚に同情されてるくらいの田舎だ。

1450JICA事務所。
1600バス150fで隊員連絡所に帰る。降りる所を200mほど早まった。
エンドー・タケチとパスタ。今日は疲れた。

Le5Avril2007Alxames
午前NHKラジオ日本をきいた。佐藤愛子の本続き。
まだ家の使い道に困っている。家事を専門にする専業主婦があったとしたら、この家はどうなるのだろうか聞いてみたい。一応部屋の機能的な仕組みは近所さんに聞いたけど。

流し台も蛇口もなく水周りが難しいので料理しない。
それじゃあいけないから食欲喚起のために品目を書いてみる。カレーライス、親子丼、お好み焼き、トンカツ、刺身、おから、納豆、ざる蕎麦、コーンスープ、、、現代は家事をする者よりもスポーツ選手のほうが料理をする時代だ。

Le4avril2007alarba独立記念日
0830起きる。
もうここには誰も居まいと思ったがまだワダ出発前、しかもパンを買っといてくれた。
0937わだ出発。18-3体調不良、健康管理委員も来る。
昼、3人で米を食べる。
1400マスダレポート読む。
1800寝る
2000もらった日清麺職人味噌を食べる。
佐藤愛子の本をよむ。本棚整理。


Le3Avril2007Talaata
0700おきる寒い25℃。ラジオ体操akワダ。そろそろ風邪を引きそうなダカール生活突然の3連休1日目。
0900養殖資料を読み直す。ノガミさんにトトロを貸す。
1030NHKアーカイブス里山・探偵ナイトスクープ・蟲師(虚さん)を観てワダ足止め。
1300EL MANSOURでチェブジェン350f.月初め値上がり説。
1600ババカールがかぎのコピーを作る為に来る。パソコンを忘れたらしい。多すぎる物忘れ。EGLISE EVANGELIQUEで待ち合わせる。 かぎ屋がどこか聞こうとしたらおっさんが身構えた、どうやら襲われるとでも思ったのだろう。なんでだ?
タノウエ・スギタ・ワダとパスタ焼肉風味。


Le2avril2007lundi
0700おきる
0900わだ君とカール(carクルマのこと)でJICA事務所120fcfaいく。
DPCAの会議は木曜日ではなく金曜日らしい。
4日の独立記念日と大統領就任式は知っていたが、その前後も急遽休日になったという。政治的休み・宗教的休みが多すぎるこの国。さらに雨季乾季による農業的休み。不確定な事柄の多くを 運命 と呼ぶらしい。偶然の要素の中に自然災害以外に「物忘れ」によるタイミングのやり過ごしもあるだなんて言われた。物忘れはメモしておけば防げるんじゃないかと言ったら、我らは独自の文字を持たなかった時代が長く続いたのだ なんて言ってる。 ふーん。

ビタミン剤、消毒薬、抗菌目薬、風邪薬、解熱剤をもらう。近くに薬局があるが一応入手。
1300、1月にイナバさんに教えてもらった店でチェブジェン300f。そしてメール。
1500バス4番で150f帰る。
米。茶。など連絡所買い物をCAPSUDでする。
持ってきていたWe are the worldのビデオクリップをここアフリカでみてみる。マイケルジャクソンは良い。アフリカにはエディーマーフィーの「星の王子ニューヨークへ行く」みいたな人だって居るのである。
みんなで雑炊。

Le1er avril2007sunday
昨日は7placesに始めて乗った。隊員連絡所は見送りの人が多く寝る場もないかと思ったが、夜中発の飛行機見送りに出た人がいて1つベッドが空いた。
あさおきる。ワダくんとラジオ体操
北斗の拳;レイからサウザーの所まで読む。
午後18-3とネットしに行く。