Agendum Khalifa Kenji

samedi, août 18, 2018

責任は普通のことで

 責任をもって自分の持ち場で働くのは当然のことで、
時々担当する、人を楽しませるサービスと初期の安全管理と
 次の世界には、太平洋での野心が必要かも。

日本の郷土史、
 横浜、小笠原諸島、北海道、沖縄、佐賀、△△藩史、どこでも世界史と郷土史、、

lundi, août 06, 2018

暑い日に、アイスに偏りがちな食生活から脱す。


暑い日に、アイスに偏りがちな食生活から脱す。
 +甘酒
 http://www.kanaloco.jp/article/258847
 http://voicilejapon.com/magazine/biyojyo/amazake.html
 ↑↑Pastis si vous voulez, mais on vous recommende Amazake pendant l'été.
 +ねばねば食品 +麦茶 +漬物 +ミスカル 미숫가루
 https://www.bibeaute.com/article/32716
 +カレー
 http://www.e-anan.net/profile/2017092717192436.html

samedi, août 04, 2018

剣道の国際化ってなんのこと?

フランス南部で学生をやった1年間に通ったクラブでは日本語を剣道の専門用語としていち、に、さん・・こてめんうち、、などと日本語のままで稽古をしていた。

韓国ではもりちぎ、ほりちぎ、そんもくちぎ、、など面打ちでも韓国語に言い換えて稽古をしていたし、蹲踞をやらない。なぜなのか聞いてみると「日本的だからかな??」と答えが返ってきた。

そういえば笹森順造(?)の時代、大日本武徳会が解散させられた時代に、これは剣道ではないよと占領軍にうそぶいて日本の剣道家は稽古をしていた。同様に韓国の剣道家も、これは日本の剣道ではないと工夫をして嘘をついて稽古をしたのではないだろうかと思った。チャゲ&飛鳥が韓国で日本語でコンサートをしても、韓国の剣道は韓国語で行われ、子供にも浸透している。韓国の剣道といっても「日本の剣道だよ」「国際ルールでやろう!」ということでこて!めん!と掛け声をかけ蹲踞もする形で僕らは稽古をした。

剣道家はどこの国でも戦争に弄ばれる。

中山博道(親子?)の西洋東洋剣術の話の冒頭に、剣で戦うことは世界中でみられると書いてある。そうでしょうとも。

日本の剣道をやりながら日本の心を、韓国の心を、西洋の騎士道を、、、何を鍛えても、剣道によって交流が平和に進めばそこに参加したいといつも思う。
子供のころは運動と、人間形成の道、ひいては平和、、このあたりはこじつけじゃないかと思ってたけど今では直結だと思える。

ここで近代化について、
A,昔の技術を今風にアレンジして今できる手軽さとも組み合わせて現代に呼び戻すことは近代化。
B,そして、昔の技術はそのままで、使用法を現代人に教育することで近代に普及させようとすることも近代化で、これも使う人によってアレンジされる順で世に出る。

(国際化と、簡略化と、改良)

剣道の国際化は、日本から見ればBの昔からの竹刀や防具を改良しつつ、昔からの精神を広く世界に伝えるやり方のことではないだろうか。
 一方、世界から見ればAで、袴の着方が簡単になるように、簡略化をしたり分かりやすくして、参加できる受け取りやすい形にした後で多くの人と稽古して、そこから京都大会を目指す。これではないだろうか。

国際化とは「国際舞台で生じる問題に対処すること(E.O.ライシャワー)」で具体的な何かのことではないから、見るポジションによって意味の取違いが出てしまう。

国際化、簡略化、現代化、それぞれを分けて議論できれば交流のネタとしていいことずくめに使える作業

何としても英語で発信しなければならなかった新渡戸稲造の武士道の時代から、現代の国際化を理解している国際人がかかわって、”英語ができれば国際人”の時代の人と共に働けば国際化は進むでしょう。

11月の剣道日本一が剣道の方向性をおかしくしていないように、オリンピックにしてもいいのではないか。その時の説得力が8段、7段の中でまとまっていないはずはないと思う。
段位審査の論文を審査後数年たったら公開してもいいし、編集して5か国語くらいで販売してはどうだろう。もうあるのかな?

剣道大会の中で、相撲の幕内力士以上の土俵入りのように何かやったらどうか。
例えば団体戦で16チームが残った時点で剣道形で優劣をつける。1チームの登録選手から2人出て、形を打つ。上位8チームはそのままで、下位8チームの大将・副将・中堅戦では反則1がつけられた状態から始まる。

剣道だけでなく居合もやっている剣道家がヨーロッパには多いが、日本の剣道はおそらく今も剣道ではない撓競技のままの部分が多いのかもしれない。

GHQにやめさせられた武道が競技になって、外から問われる現代になってようやく武道に戻れるチャンスではないだろうか。

満州で撮った映画 迎春花の最後は剣道の稽古のシーンで終わっている。笠原利章さんのいう「1.押し付けられない(小田佳子、近藤良亨)」を守ってそろそろうまく広めていける頃だと思う。

士農工商で権力に富が寄り付かないように一応分けていたけれど、運営は総合的にやることを日本でも周知されてきた。//


真剣を使って居合をやらずに模擬等で稽古をしている私は居合の簡略化の恩恵を受けている。普及させるためには間口を広める取り組みは必要。

武道なので試合を見たい要求はある。選手個人や運営団体の真剣勝負の場であり発信する場所であると認識して、開催したほうがいいだろう。全日本選抜剣道七段選手権大会、八段優勝大会もあるではないか。この流れは自然で、群雄割拠してこその普及、そしてまとめる団体の必要性が増す。

まとめるにあたって、外国ならばフランス語名か英語名で{KENDO}の文字が入った団体名のみが加盟できるようにしなければならない。
川渕三郎さんのまとめたバスケットボールのようにしっかりと国際組織を持つべき。
 KENDOと入っていることは重要で、柔道のほうが多数派だけれどフランスの「」でもいいし、団体の分け方としては「Republic of China Kendo Association」でもいい。政治的なところまではいかないのが全日本剣道連盟の定款に合ってるだろう。

まだ世界の1/4程度の場所に小さな剣道家グループがあるだけなので、今後の剣道普及、剣道の理念と剣道を通じた平和的交流のために、国際剣道連盟は組織を固めなければ、段位、審判法、そしてオリンピックにはつながらない。こういうわけでオリンピックはまだ20年は無理かも。//

e-sportsのストリートファイターは完全にコンピューター判定だけれど、スポーツはビデオ判定が入ったとしても相撲やサッカーのように人間が審判をすべきで、競泳やのようにタイムで時計に任せっぱなしとはいかない。でも時計も反則はチェックできないから人間が主審を務めるのは現実の種目では永遠に変えられないだろう。

できることなら囲碁のようにもう負けるしかないと納得して終わればいいけれど、選手と審判と関係者の最大限の努力が揃うように狭い密室で行わねばならなくなってしまう。