Agendum Khalifa Kenji

mardi, avril 07, 2015

群集 という用語について



EDAPHOLOGIA No.14 45-481976

「群集」という用語について
-動物学者の立場から-
青木淳一(横浜国立大学環境科学センター)

私があるところで「土壌動物群集の研究」という表現を使ったら、ある植物の先生がそれをみて、「土壌動物集団の研究」と直してくださった。そのわけは、植生学の分野では「群集」という用語の使用に当たっては、ある厳密な規定があって、そう滅多矢鱈に子の言葉を気軽に使ってはいけないことになっており、その群集とまぎらわしいということであった。しかし、動物集団ということばはあまり聞いたことがないし、何となく耳障りで困ったものである。
そもそも、群集という言葉は、極めてありふれた日本語である。「群集の中の一人の顔」とか「群集をかきわけて進む」とか、人間の群れに対しても始終使われる。動物学の分野でも、海浜の動物群集とか、草原の昆虫群集とか、特にうるさい規定にとらわれずに、あるすみ場所に集まっている動物に対して、ごく気楽に使える便利な言葉である。

しかし、植物学の分野では、そうはいかない。群集とは植物群落分類上の一つの基本的な単位であって、植生学的な調査に基づいて決定され、記載され、その群集の命名者と発表年を伴った分類単位なのである。丁度、動植物の分類学の「種」に相当するようなもので、種の上に属・科・目・綱・門、種の下に亜種や変種があるように、群集の上に群団・オーダー・クラス、群集の下に亜群集・変群集・ファシスなどの単位が定められている。

つまり、植物学、正しくは植物社会学あるいは植生学においては、群集という極めてありふれた日本語に厳密な規定をはめこんで、特定の意味をもたせるように扱ってしまったのである。それでは、人間の世界や動物学で使う群集のような、もっと気軽に使えることばが植物の分野で存在するのかというと、それに対しては、ちゃんと「群落」という用語があるのである。素人からみると、どうもこの「群落」という言葉のほうが、ずっと学問的でむつかしそうで、そう矢鱈に使えそうもないように思えるが、事実は逆で、群落のほうはかなり気軽に使ってよいことになっている。たとえば、主としてエノキからなっている林を見つけた時、これをエノキ群落と呼ぶことはさしつかえないが、きちんとした植生調査もしないで、ただ眺めただけでこれをエノキ群集などと呼ぼうものなら、たちまち植生学の先生におこられてしまうのである。今から十数年前、ダニを扱った論文の中で、調査地点の植物群落の記述にあたって、私はわざと動物群集と同じような意味で、ミズナラ群集とかイケノヤナギ群集などの表現をしたが、ずい分無茶なことをしたもので、恥ずかしい思いである。

しかし、一寸怪しからんと思うことは、植物屋さんのほうで、そんなに厳密な規定をしたのなら、それにふさわしい学術用語を造ればよさそうなものに、人間や生物一般でふつうに使われている群集ということばを勝手に横取りして、狭い意味に使いはじめたことである。それでも、動物学者は動物のことだけ、植物学者は植物のことだけ取り扱い、お互いに知らん顔をしていればよい時代には、別に差しさわりは起きなかった。しかし、最近の生態学のように、植物・動物・人間をくるめた生態系の研究が盛んになり、また植物と動物の関係を論じることが多くなってくると、一寸困ったことになってくる。たとえば、私の最近の関心は、植生と土壌中に生息するダニ類の関係を調べることに向けられている。そこで、「シラカシ群集の土壌中にみられるダニ群集」などといった場合、前者の群集と後者の群集はまるで意味が違うのである。一つの論文の中で、同じ語が二つの異なる意味をもったりしたら、それはもう論文とはいえなくなってしまう。

原語との関係はどうなっているかというと、ドイツ語のGesellschaftあるいはLebensgemeinschaft(英語のCommunity)が、植物学では群落、動物学では群集と訳され、厳しい規定を伴ったドイツ語のAssoziation(英語のAssociation)が植物学で群落*)と訳されたわけである。したがって、もし日本の植物学者が群落と群集を反対に入れ替えて使っていてくれたら、全く問題はなかったのであり、この点がくやまれてならない。群落という語は、人間社会でも動物学でも用いないのだから、これこそ植物学できめた厳格な意味のassoziationに対する専門用語としてふさわしかった。そして、群集という言葉は人間・動物・植物いずれを問わず、気楽に使える共通語として残しておいてほしかったのである。

しかし、今更こんな愚痴をこぼしてみても仕方のないことである。植生学の分野でもはや動かしがたく定着してしまった群集および群落という語の使用法を、今になって変えてくれと泣きついても始まらない。やはり、群集ということばを漠然と使っていた動物学のほうで泣き寝入りするより仕方ないのだろうか。

今後は動物学でも○○群集という気楽な使い方をやめなければならないかもしれない。
いま、泣き寝入りといったが、私はまた別のことも考えている。それは、動物の生態学においても、群集という語を、植生学のそれと同じような意味で使うことが出来るのではなかろうか、ということである。動物の群集についても、植生学的な手法を用いて分析を行ない、ある特定な立地に結びついた、特徴的な種の組合わせを持った種の集まりが見出されれば、それは植物の群集と同様○○群集という分類単位として扱うことができるかもしれない。従来の動物生態学では、その研究対象として、鳥とかアユとかバッタとか、移動力のある動きの激しい動物を多く扱ってきた。それらは、じっとしている植物を扱っていたのでは得られない動物生態学の醍醐味を次々と味わわせてくれた。そしておのずから、植物の場合とはちがって、主として同種の動物集団、すなわち「個体群」を扱う生態学が特に発達してきた。

一方、小型で移動力の小さい、しかも種類数や個体数の極めて多い動物群、たとえば森林土壌の中に生息する原生動物、輪虫、線虫、ダニ、トビムシなどのなかまの群れは、分類学上は動物界に属していても、その“住みつきざま”はむしろ植物的である。かれらは立地や環境の違いを見事に反映し、それらを種組成の上に具現している。このような動物群に対しては、植生学の調査分析法が適用できそうな気がする。
そして、私の専門の愛すべきダニの名前を冠して、キバダニ-ツキノワダニ群集とか、あるいは他の土壌動物も含めて、ホソワラジムシ-サクラミミズ群集などという表現ができるかもしれない。もし、それが可能なら、動物についても「群集」ということばに厳密な規定を加えて使用することになろう。しかし、動物における群集という語の普及度からみて、それはむつかしかろう。Assoziationに対して、「群集」とは別の言葉で、あとで動物に適用してもおかしくない用語を、植物学のほうで使っていてくれたら、とくやむ理由もここにある。

では、どうしたらよいかというと、可能・不可能は別にして、次の三つの方法しか考えられない。
第一は、動物学で使っているcommunityの意味の群集という語の使用をやめて、何かそれに代わる用語を考えることである。今、思いつくことばとしては「集団」と「共同体」くらいしかない。しかし、集団という語は集団遺伝学(=個体群遺伝学)とか、集団育種、集団行動という用法をみてもわかるように、個体に対しての集団、個体の集合体としての集団、つまり個体群(主として同種の個体の集まり)と同じ意味で使われているので、多くの種の集まりである群集に代わる語としては具合が悪い。また、共同体という語はcommunityの訳語として、そうふつうにではないが用いられているので適当と思われる。しかし、この語は「潮間帯の動物共同体」とか「ネズミの巣穴の動物共同体」とか、あるすみ場所にみられる異なった動物群全体をひっくるめていう場合に適切な気がするが、限られた動物群だけに限定して「ダニ共同体」とか「トビムシ共同体」とかいうと、どうもおかしいのである。それに、日本語としては三字からなることばは、どうも合成語を作ってもゴロが悪くて困る。しかし、今のところ、この「共同体」という語を動物の群集に当てはめるより方法はなさそうである。

第二に、植生学のほうで、associationに対して使っている「群集」という語を、別のことばに改めてもらうことである。もし、これが可能なら、問題はもっとすっきりと解決する。なぜなら、実は植物学、いや植物学の分野の中においても、ウプサラ学派に属し、優占種を重じて群落を分類する人たちや、群落分類単位を認めない学派の人たちの間では、群集という語を動物学者と同じようにcommunityの意味に用いているのである。いや、それどころか、associationの概念に従って植物群落の分類を行う本家本元のチューリッヒ-モンペリエ学派の人たちの間でさえ、外国ではcommunity(またはそれに相当する他国語)という語が動物の群集や植物の群落を指す気楽な共通用語として認められていて、用語の点では問題が無いのである。要するに、日本の生物学の中でも植物学、植物学の中でも植生学、植生学の中でもチューリッヒ-モンペリエ学派の日本人だけが、群集という語に他と別の意味をもたせてしまったのである。この人たちにとって、、群集(association)というごが、“おれたちだけのもの”であった間はよいが、この人たちの素晴らしいアイデアと努力によって、この“群集”という概念が生物学の中で広く認められるようになってきた時、はじめてその用語のまずさが、どうしようもないものとなってきたのである。しかし、分類学者に「種」とか「属」という用語を変更してくれと頼んでも今更受けつけられないのと同様、この人達もassociation=群集という用語はガンとして変えてはくれないだろう。

第三は、仕方がないから、このままお状態でほおっておくことである。植物群落と動物群集を一緒にしたものが生物群集で、植物の群集はまた別の意味をもつという変な定義に甘んじなければならないし、とにかく頭がこんがらがってくる。ここでいう「群集」はcommunityの意味であるとか、associationの意味であるとか、いちいち論文の中で断らなければならないこともしばしば起こるはずである。日本の生物学は、将来もずっと、この「群集」ということばに関して、不便と混乱を保ちつづけなければならない。まことに残念なことである。
1976216日受理)


*Assziationに対しては、一時、群叢という語が使われたことがあるが、現在では群叢はKonsoziation、つまり基群叢(Soziation)の上級単位として、別の意味に用いられている。