Agendum Khalifa Kenji

jeudi, avril 09, 2015

コピー:樫の木



理学部通信1631994 広島大学理学部コミュニケーション委員会

理学部のシンボル・ツリー、シラカシ -その科学と文化-
広島大学名誉教授(1950~1985年植物学教室勤務)安藤久次

シラカシの植物学
ブナ科の中で、俗にドングリと呼んでいる実が椀状の殻斗にはまって着いている木には、コナラ属(Quercus)とマテバシイ属(Lithocarpus)の2属があるが、多数の雄花を穂状につけた枝、すなわち花序が、前者では下垂し、後者では上向きに立つことで区別される。コナラ属(前記ラテン語の学名は「立派な木」の意)は、北半球の亜熱帯~温帯に広く分布し、この地域の森林を構成するもっとも重要な樹種である。殻斗の表面が鱗状で、すべての所属種が常緑性のアカガシ亜属との2群に分けられる。ヨーロッパでオーク(oak)といっている木はすべてコナラ亜属であるが、日本を含めて東アジアには両属の種類が見られる。
一般により寒冷な地域に分布している落葉性のコナラ、クヌギ、カシワなどや、常緑でもウバメガシはコナラ亜属であるが、ウバメガシを除くすべての日本産常緑樹種(カシ類)はアカガシ亜属に属する。この度、理学部のシンボル・ツリーに選ばれたシラカシ(Q. myrsinaefolia)はアカガシ亜属の代表的な種で、宮城・新潟県以西の本州、四国、九州の低地に広く分布し、済州島や中国大陸中南部の暖帯域にも見られる。広島県内にもごく普通に自生しており、特に県中・東部の内陸域に多い。公園樹、庭木、生垣としてもよく植えられている。
材が白味を帯びているのでこの名前がある。葉は長だ円形でウラジロガシによく似ているが、葉の裏面はそれほど白くなく灰緑色で、ほとんど無毛である。
主幹は普通真っすぐに伸び、樹皮は黒みがかって、大きく生長すると堂々として威厳が感じられる、風格のある木である。広島県内に知られている巨樹には、三次市の熊野神社にあるシラカシ(胸高幹囲4.9m)、甲奴郡上下町、井永八幡神社のシラカシ(4.5m)があり、いずれも県天然記念物に指定されている。甲奴郡総領町、領家八幡神社の社叢はシラカシが優占する立派な森で、胸高幹囲2mを超える大木が30本余りも見られる。これもまた県天然記念物に指定されている。
カシ類の材は、俗に堅木といわれているように、重硬で粘り強い上、乾いても狂いが少ないので古くから農耕具、大工道具などの柄、秤の棒、荷車、木橇、拍子木などに利用されてきた。古代に大きな石、木材などを運ぶのに用いた修羅もカシ材を使ったものが多い。特にシラカシの材は硬く、カシ類中もっともそれらの用途に適した重宝な木であった。毛利氏の居城があった高田郡吉田町の郡山にはシラカシが多い。このカシが農耕具のほか、木刀や槍の柄にも適していたので、毛利氏の勧奨によって積極的に植栽されたのであろう。この山の西側山麓にある毛利元就の墓所に、ハリイブキと呼ばれているイブキが墓標木として植えられている。しかし現在は枯れて、そのすぐ傍に自然に生え育ったシラカシがあり、身代わりの墓標木として大切に保護されている。
シラカシはまた、製炭用としてとして育成されたこともあり、昔は実が食料、染色などに利用された。葉はフラボノイド、タンニン、トリテルペンなどを含み、結石溶解・形成抑制の作用があるとして、近縁のウラジロガシとともに、民間薬で胆石・腎結石症に用いられる。

カシ文化史
「古事記」には、赤梼、白梼と記された木が現れるが、それぞれイチヒ、カシと訓まれている。前者は葉の裏が黄褐色のイチイガシを、後者は葉裏が白味を帯びたシラカシ、ウラジロガシ、アラカシなどを総称したものと思われるが正確には分からない。特定の種和名で古歌に読まれているカシ類は、イチヒが「万葉集」に1回ある以外は全部シラカシで、筆者が調べた限りでは、万葉ほか古代、中世の和歌集で7首にシラカシの名がみられる。「記」にイチヒと訓まれる「赤梼」があっても、古歌にアカガシの名は見当たらない。
「景行記」によると、倭建命が東征の帰途、能煩野(現三重県亀山市能褒野町付近)に着いて病気になり死期が近づいた時、故郷の大和を偲んで次のような歌を詠んだ。
命のまたけむ人(命が無事で元気な人)は たたみこむ(次句の枕詞) 平群(へぐり)の山の熊白梼(くまかし)が葉を 髻華(うすい)に挿せ その子
従者の(または故郷にいる)若者たちに、平群の山(現奈良県平群町の矢田丘陵)に生えているカシの枝葉をかざしに挿せと呼びかけて、元気で有為な人生を送るように願った歌である。「熊白梼(くまかし)」は、カシが大きく育って威厳ある優れた木であることを美化した表現である。この歌は本来独立歌で、宴会や歌垣の席で、老人が人生の盛りの若者に対して、その青春を豊かに過ごすように教え、祝福する歌であるといわれている。
「日本書紀」第六巻(重仁)に、「一説によれば、天照大神は、伊勢に鎮座する前、大和の磯城(現奈良県磯城郡付近)にある厳橿のもとに祭られていた」旨のことが記されている。「古事記」にも「厳白梼(いつかし)」の語があり、カシが清浄で神霊の依代となる聖木として畏敬されていたことが分かる。「記紀」に、神武天皇が即位の式をあげたと記されている白梼(橿)原の宮(現橿原神社の境内に遺称地がある)一帯は、昔、カシ類が生い茂る、文字通りのカシ原であったと想像される。
「記」の「梼」、「紀」の「橿」、また現在普通に使われる「樫」(国字)は、いずれも「堅くて強く長もちする木」を意味し、和名「カシ」は、「堅し」、「厳し(いかし)」、「雄偉(いかし)」、「茂し(いかし)」などに由来すると諸説がある。
いずれにしても、常緑で材が堅く、実が沢山なるカシは、強い生命力、長寿、豊穣を象徴する吉木として尊ばれてきたのである。現在でも、カシ類を正月の門松や墓・神棚の供花としたり、田の水口や畑に立てたりして、家の繁盛や豊穣を祈る習俗があちこちに残っている。
なお、同じQuercus属の他の亜属に属する、落葉樹のコナラ、カシワなどは、昔から神事の時、葉を供物を盛る器として用い、また、冬になっても枯葉が落ちにくいので、「葉守(はもり)の神」(樹木を守護する神)が宿る木として神聖視されてきた。このような風俗・伝承から、カシワの葉を象った柏紋は、特に神社、神宮、武家の紋章として採用されてきた。また、ヨーロッパでは、オークは威厳、勇気、忍耐、勝利などの象徴として、詩に詠まれ、絵に画かれ、勲章、コイン、国・都市・団体などの紋章のデザインにとり入れられている。日本でも、相撲その他各種スポーツの賞杯やメダルに、カシワの葉が勝利・栄光のシンボルとしてよく用いられている。
以上のように、シラカシは、西南日本の代表的な樹木で、古代から人々の生活に欠かすことのできない有用な植物であった。また、その他のカシ類やナラ類とともに象徴性の大きい吉木または聖木として崇められてきた。シラカシこそ、わが理学部の風格と活力を象徴するにふさわしい、誇るべきシンボル・ツリーであると確信する。
育成も容易であるので、理学部域内の諸所にこの木を植え育て、いつも緑の「厳カシ(いつかし)」のもと、古代から伝承されてきた「カシの心」を体して、強く永く、そして豊かに理学部が輝き発展して行くことを願ってやまない。
最後に、鎌倉時代末期に成立した勅撰和歌集「新後撰集」にあるシラカシの歌(光明峯寺入道前摂政左大臣)を掲げて筆をおくことにする。読者それぞれに解釈されたい。
 夜を重ね山路の霜もしら樫の
  常磐の色ぞふゆなかりける