Agendum Khalifa Kenji

mercredi, mai 30, 2007

j habite a Palmarin gounoumane

Le29Mai2007晴
植えたマンゴー?の芽が出ている。でも、明日からダカールに行くので水遣りは出来ません。
DPCAに予算を聞きに行くのだが、ラミンとは話がついたのか?

地域の事務所に居住者証明を貰いに行く。雑談しながら作業が進んで、発行手数料は無料だった。田舎はいい。
JICAに電話。こんなときに限って電波が無い。停電。1500Fcfaかかった。5000f払おうとしたらお釣りが無いといわれ、小銭500fだけ払って残りは後払い。
玉子たまねぎを買って帰る。
途中アンドレさんと会った。
セレール語で数え方を習う。
1おれん
2あだっく
3あてだっく
4あなはっく
5ぺたっく
6べたふぁんれん
7べたふぁだっく(べた+ふ+あだっく)
8べたふぁてだっく(べた+ふ+あてだっく)
9べたふぁなはっく
10はるばふぁい
11はるばはいふぉれん
20おいむ
21いんふぉれん
30かばいたでぃっく
31かばいたでぃっくふぉれん
40かばいなひっく
50かばいぺてぃっく

DPCAと電話。
ラミンはもう稚魚獲りをはじめたの?
ぴろぐを運ぶんじゃなかったの?
あれは大きすぎたからソンコのを使うことになったの。

行動計画がいいかげんすぎる。
1610からジフェールに行くだなんて交通が不便すぎる。困る原因が小さいが効果が大きくて困る。

Le28Mai2007晴セネガル132日目休日
0945気温26℃。ズツー。頭痛い。週末から痛い。まずは「唯の風邪」を疑ってみた。違う?次に「空腹性頭痛」を疑ってみた。近所に昼ごはんを週末2日続けて作ってもらい沢山食べた。Lekk naa bu baax!違う?おそらく村の人と同じものを食べても僕にとっての改善にはならない。。やはり自炊したい。食べながら何が足りないかを考えた、塩味が足りない!なので「塩足らん性頭痛」を疑ってみた。買い物に行く。「運動不足勉強しすぎ性頭痛」が残る候補だ。

今日は玉子3個手に入った(300fcfa)!って戦後か?!
1個25円、10個250円て日本と値段が変わらないんじゃないの?

500gの粉ミルク(1500Fcfa370円)の袋を積んだトラックは19時ごろに付くよ!って被災地か?!

でも代金を払えば大体のものは手に入る。まず、タクシーで近くの街へ行く。この時点で村では物が足りないと言うことになる。日本だって私鉄の1駅とJRの1駅とでは距離が違う。ちょっと遠目の1駅感覚で買い物の旅に出る。  1日に出来ることはそう多くない。

村の人と同じ条件で生活したいが条件がまだ見えない。知り合いが増えたので観察する。もうしばしの我慢。昨日書いたように、みんな出かけているんだろーなー。

玉子3個とニンニク、塩小匙1杯、油大匙3杯と今日は比較的上手く炊けた米を食べる。
栄養が絶対に足りていないと思う。一ヶ月間流し台の配水管がダカールから届かない、アルフォンスは誰に頼んだのだろう?

DPCAの予算を調べにいよいよダカールに進撃するか。

昔「日本がソ連かどっかに旱魃のための食糧難にインスタントラーメン(日本人の発明)を沢山送った」とのニュースを見て「スープ(水分)が必要な献立を旱魃で水が無いところに送るのか。アフリカにはタジンっていう水をあまり使わない蒸し鍋が有るけど、ラーメンの方がいいのかな?」と思った。調理がいらないからインスタントラーメンははたぶん水を使わないのだろう。

お金だけじゃなく方法・物品が無い途上国(たぶん被災地ではない?)の援助資金は、物品のレンタル・リースも組み合わせて、返済期間に技術指導で口を出しつつ、いつの間にか自主運営に移行させられればいいな。

流し台のパイプを測りにきた。35ミリパイプ。届くのは来週以降。今週末は選挙。僕はダカール。しかし完成は間近だ。

1920気温28度涼しい。
2018-2051停電
2214停電
3217ごろ停電終わり
ソリティア745点

Le27Mai2007Dimanche晴

1030気温26℃。Il fait frais. 涼しい。J’ai vu Richard(enseignant de l’école primère) à l’église.教会で小学校の先生をしているリシャーに会った。
Comme la femme d’André(cuisinier, navigateur ) est malade, il s’a accompagné à l’hôpoitale.アンドレは留守。
Il y aura lieu la lutte sénégalaise aujourd’hui aussi. Demain, jour férié, les chrétiens vont aller à Popoginne pour le pèlerinage, donc il n’y aura pas de voiture demain.今日もセネガル相撲があるらしい、明日はキリスト教徒はンブールの来たのポポンギンヌへ巡礼に行くので交通機関は皆そっちへ行くからこの辺は移動ができない。
Comme la neige, la sable lance du rayon aux yeux.雪のように砂が太陽を反射させる。お隣さんにご飯を作ってもらった。食堂も台所も無く、料理が出来ない。弱る。それに世話になると気持ちが楽。斜向かいのおばちゃんも「お隣がいないときはうちに食べにいらっしゃい」といってくれる。
僕は 親戚の家で、保育園に行く前の頃お世話してくれた家で、けっこう頻繁に人の家でご飯食べて大きくなったかもしれない。
De mon village à la poste plus près, il faut une heure en voiture.
郵便局はどこにあるか聞いたら車で1時間以上かかるジョアールにあるといわれ、はがき出したいんなら誰かに頼めばいいよ!ジョアールに行く人がいるだろうから。と当たり前のように言われた。
やっぱりこの村では用事がすまないことが多く、2週間に一度は近くの海側の街へ村人は出て行く。内陸にも州都があるけど家からは交通の便が悪い。近い州都より遠くの首都の方が確実に行けるし、やれる活動が多いので効率がいい。

僕はこの村の生活に慣れようと、3週間は村にとどまってみよう、JICAの招集がかかるまで外出は控えようと思っていたのだが、ココの生活は行ったり来たり。しかも宗教に関係のある祝日は移動手段が無い。まったく周辺の雰囲気に変化が無いので気付かないと、移動できない日に立ち往生するんだ。今後は2週間に一度は4日ほど仕事を持ってダカールに行こう。
ソリティア740点
2200ごろ。猫が入ってきて皿を落としてので欠けた。借り物だぞ!

Le26Mai2007samedi晴
0730気温24℃涼しい。昼間30℃風があるのでいい感じ。日向には出るな!

ちょっと具合が悪いかも。しかも木曜辺りからこんな感じだったぞ。暑いのはアフリカだから?Maux de tete。
お昼ごはんを作ってくれと隣のうちに頼みに行った。今後もお願いしようかな。

引き続き水産資源管理と養殖事業の実行計画を練る 足りないのは予算だけか?

フットワークの軽さの中に「被援助国でも条件を揃えることは可能である」ことを見せるためのこの国の「建前」が見える。本音は「お互いに不満を聞きあう時間を必要としている」と感じる。
現在は実際の養殖作業は中断しているが、漁師が網を繕う作業の隣に座って話をすると、援助を受ける側には「現在の仕事」があることを感じる。援助をする側は「然るべき機関の職員が、調査・研究を専門職とし」、セネガルの受け入れ機関も含め、本職でやっているが、受け手・実施者は本職は漁師或いは家事をしなければならぬ農村・漁村の女性が対象なのである。新しく勉強しなければならない技術を外国人から習得するのは時間のかかることだろう。
この本音と建前の違いは観光客相手の土産物屋のお兄ちゃんと話をしていると良く分かる。彼らの観光客が来たときの陽気さはたいしたものだ。日陰で物静かに話していたところにお客さんが来ると、アフリカの照りつける太陽の下に出て行って「マイ フレンド!アミーゴ!」と声をかける、太陽のスポットライトでアフリカの自然の下の開けっぴろげなアフリカ人の性格を演出する。人には強い日差しに当たると倒れるから日陰でアタイヤ飲んでろと言うくせに。この開けっぴろげは観光客から見ると必死さが見えるので「こいつ何か盗ろうとしているのではないか」と警戒心を抱かせる。みんな小売店の人たちは商売が・演技が下手だぞ!

セネガル人は兄弟が多いから(8人とかね、)兄弟内での競争が上手な奴がけっこういる。そいつはずるさが人一倍、親切さも人一倍。適当に嘘ついてみると直ぐに見破るし、何かをためらっていると直ぐに手を貸してくれる。

頭を洗っていたらMamadouさんが電話で免許試験情報をくれた。選挙が近いけど事務所は開いているらしい。ソンコはファティックから養殖局役員が来たときに連れて行ってもらえばいいと言う。いつも世話をしたがる。ありがたいが待っていてもしょうがない。村長に相談だ!

よく壁に入っている鉄筋が意外といい具合なので、その棒で素振りをやってみる。今後続けてみよう。

Lutte Senegalaiseでもやっているのか。太鼓の音が聞こえる。

Le25mai2007vendredi
Aujourd’hui dans ce village il n’ya pas de pomme de terre.
J’ai acheté deux mangues en 100fcfa, ca coûte 0.153 euros.
Je suis en train d’écrire notre projet et un exemple de budget jusqu’au décembre 2008.
計画立案今月中に書き終えたい。シニアボランティアの報告書読み直したらシニアボランティア活動費から支出と書いてあった。これが無いことが今回の問題かもね。
今朝買い物に行ったら今日はこの村にジャガイモが無いことが判明。
マンゴー2つ買った。1つ50Fcfa、2つで24円。

カズ、サッカーの三浦カズは70歳になったら横浜市立の高校のサッカー部の監督になって天皇杯を獲って欲しいと クレージーケンバンドのライブDVDを観ながら ふと思った。

Le 24 Mai 2007 Alxames(en wolof) 128e jour de ma vie au Sénégal
0700temperature 25degréC
0830 marcher pour Djifère à pied, il a fallu une heure et demie.
自転車に乗った15歳くらいの小僧に1000fねだられる。時計もくれと言う。そのくせカヌーが必要なら貸してくれると言う。なんじゃそりゃ?
1000arrivé à djifère , Lamine est allé à Dakar.漁師は潮位が上がるのを待っているそうだ。
1030mesuré la temperature de l’eau surface 25degréC.近くのホテルの従業員と話をした。ヨーロッパ人が来ると「Hello my friend、Amigo!」なんて言って商売を始める。
彼らなりのアフリカっぽさの演出が為されているが、それが良くないと思うよ。馴れ馴れしいし、親しげな振りの中に必死さが覗くから声をかけられると嫌になるんだ。
タバコを吸うかと言いつつ自分の吸っているのを僕に回してきたが、「吸わない、ゼンソクがあるから」と答えると、僕に煙が来ないように隣から向かいに席替えをした。そして伝統のセネガル漢方薬の話をしだした。お茶をご馳走になって。漁港管理事務所へ戻る。
J’ai achete deux bananes qui coutent 200fcfa=0.3euros

なんだかシニアボランティアは試験計画にいくらか出したらしいぞ。養殖局は具体的な要望「○○画必要だ」には早く答えてくれるが、長期的な計画予算を立てて実行することはできるのか?前回の試験をなぞるのが僕の1度目の試験目的だと思っていて、そのやり方はDPCAが心得ているのかと期待していたが
、まったくそんなことは無い。そういや、DPCAがしっかりしていれば試験は自分達でするってもんさぁ。自分で漁師・市場に聞いて1年に2回試験の計画を立てなくちゃいけない。
6月15日に漁港が3キロくらい北の新しいところに引っ越す。
vers1600 je suis revenu à Palmarin Gounoumane en taxi bourse.300fcfa égal 46centimes.
1 euro égal 655,957 Francs CFA
Je me lave, avec 10 litres d’eau.
1825気温29,7℃il fait frais

Pour l’instant je ne pratique jamais kendo ici , comme il n’ y a pas de cuisine ni robinet, je ne voudrais pas préparer mes repas moi-même .
Je suis maigri sept kg depuis mon arriveé , mais je me sent legère, cela veut dire je suis en forme . Comme je travaille avec les pêcheurs ds deux ans je serais océanologue en costaud.

Mon travaille avance vraiment petit à petit. Et l’avis de Direction de la pêche continentale et de l’aquaculture n’est pas encore claire pour moi .

Depuis le déménagement à Palmarin Gounoumane, deux mois est passé . Je vais m’affranchir dans mon domaine.

Ici est village de catholoque. Peut-être vous ne pouvez pas imaginer l’exploitation économique et conservation de milieu naturel. Allez lire l’article du 2 mai.

Les sénégaiais sont gentils.
Ici je utilise *le français *anglais *wolof *serère *japonais *arabe *coréen je ne utilise pas *poulaar ni *jora mais je les entends.

Le23Mai2007Mercredi晴セネガルに来て127日目
0330起きる。昨夜の停電が終わったのでパソコンの調整。
0500寝る
0830愚惰具惰する。体操する。掃除。
昨日買った粉ミルクではない牛乳、フランスで買ってたのと同じものをコーヒーに入れて飲む。牛乳はそのまま飲んだ方がいいや。

「はい」、フランス語の「oui」英語の「yes」はwolofで「わーう(waaw)」セレール語で「いー(ii)」。 イー!だなんてショッカー以来だ。

午後には明日漁師さんに話す貸借対象表とか予算の話をどうしようか・侵食以外のほか環境変化が見えやすいところはあるか・ついでに宅地建物取引主任資格の本もながめようか。いや、洗濯をしなければいけないのか。

養殖局も生物学の学位を持った人だけじゃなくて、経営を知っている人が必要だと思う。お金の計算なくして具体的な活動計画なんてでてこない。水産資源量の見積もりは誰にとっても難しい。人の役割がなかなか見えてこないが、赴任地に着てから2ヶ月経っちゃったし、大体の判断で巻き込んじゃっていいのかな?うまく行くの「うまく」はいったいココにあるんだろうか?

Fatuに頼んでおいたお昼ご飯を取りに行った。多分750Fcfa。

経営の本を復習、用語は後で作業を先に。

夜暗くなるとほんとに暗くなるので寝る。勉強している人は居るんだろうか?

この村の郵便はどういう仕組み分からないし、家の近所にポストがあるのか調べてない。

家の住所はadresse de Kenji KAWAMURA :

「 Palmarin Facao Mbine Mondor、 chez Alexandre SARR、 Departement  de Fatick、SENEGAL 」

nom de déstinataire ;
宛名は「 Khakifa Kenji DIOUF 」
 これで手紙が届くと思うが心配だ。荷物は送らないで欲しいがカードは送って欲しい。
Donnez-moi la carte sil vous plaît, je suis ici jusqu’au janvier 2009
Hors de votre carte, point de salut.

電話をTIGOに換えたのに昨日から電波が弱い。

Le22Mai2007Mardi晴
朝起きてパン買う。
0720気温26℃。
0817境界の裏を通り浜辺に出て歩いてジフェールへ向かう。
途中生きたエイ、死んだフグ、くらげ、マングローブの種、甲イカ、千切れたニシキヘビが浜に落ちていた。

1時間くらい南に歩いてGite de Palmarineの裏の湿地近くの浜辺には引き潮のときに海岸にブロックの塊と黒い塊が見えるところがある。
ジフィルは海岸侵食がある場所で、FAOがジフィルに作った工場が今は沈んでいることが有名。この黒い塊はフィラオやマングローブの根、ブロックは家の跡。これらも昔ここが林であり村だったことの証拠だ。

浜辺にこのような障害物があるためにここでは地引網が引けない。海岸侵食で失われるのは利用可能な土地だけでなく、利用できる海岸線と沿岸もだ。
ただ、陸地面積が減るだけという認識では足りないよ。

A la plage de Palmarine, on peut touver des tas de bloques et des choses en noires.
Les bloques sont la ruine de village ancien Palmarine, et ces choses en noire sont des racines pourries de mangourove et d’autres arbres. Il y avait une forêt ici, mais à cause de l’érosion tout a été enlevé par les vagues.

Par l ‘erosion, ce que nous avons perdu est non seulment la terre disponible, mais le littoral disponible. Ici Palmarin est village de pêcheurs , mais à cause des racines sous la mer, on ne peut plus utiliser une senne à la plage(sweep seine) là bas.

1017ジフェール到着。この辺に来ると頭の悪そうな犬がまとわり付いてくる。
ソンコとラミンと会う。Wolof・Sererreに加えジョーラ語が参戦。困る。

漁師に払うお金の話以外は何時でも仕事が始められるが養殖局が低い金額しか示さないので作業計画に具体性が出ないということになっているらしい。前回の試験は誰がお金を出したか聞いたら日本人のシニアボランティア側だという答え。

局長しか仕事の決定権を持つ人が居ないのが作業が進まない原因だと思う。担当者不在といえるほど変な組織だ。分担が上手く出来ていないのではないだろーか。局長に話すとなんでも話が早いが。

仕方が無いので漁師の必要とするものを自分で書き出すことにする。水産資源管理って経済用語がおおかったっけ?

1314ホテルが島へ船を出すときに使う桟橋の先で水温を計る。表面26℃。

ソンコのところで昼ごはんを食べる。タクシー乗り場で公式料金を聞く。料金を聞いて、タクシーのボスのミカエルからサインを貰う。

30分間扉のちゃんと閉まらないタクシーに乗ってパルマランに帰る。こんな交通機関じゃ危ないがJICAの約束でセネガルの運転免許がないとバイクが使えないらしい。国際免許があってもだめなんだそうだ。変な話だ。事故の加害者になったときの対策のためなのだそうだが詳しくはどんな対策か知らされていない。何のためのバイク貸与なのかサッパリ分からない。不便だし、走っている途中でドアが開くタクシーが危ない。天井に頭をぶつけるような、そして時々ぶつかるんだけれど、その天井が鉄がむき出しで角が出ているからやはり危ない。
日本では1年に9千人くらい交通事故で死者が出るけど保険会社の存続のために自己の確立を容認しているのかと思うような理論でバイクにのってはいけない理由を説明されている。幾ら統計で人の寿命が見積もられても個人に対しては計算が当てはまらないのに、今明らかな具体例を一般的に解決しようとしているのは自分の考えが無いことを示しているだけだ。これも大きい団体には憑き物。

ソンコの手紙について秘書のシンギーさんに電話。

アジズ(アブドゥと呼ぶ人も居るから本名はきっとアブドラジズ)にこの村の名前の由来を聞く。
Palmarin Gounoumaneはパルム(椰子)とマリン(海)から出来た言葉。グヌマンはセレールで大きな池。だそうだ。
もとはポルトガル語だと村長から聞いた。今は侵食で海に沈んだ場所に池があり、悪魔がそこにいて人々に祭られていた名残でグヌマンの名が残っている。

Fatuのところでスープ500Fcfa。アフリカコーラ1.25リットル500f。

1925停電。今日は良く歩いた、2030ごろ寝る。


Le21Mai2007Lundi晴
朝起きてパンを買いに行ったら隣のアンリが酔っ払って普通の格好して出てきた、子供らもいい服着てる。つまり二日酔い休日、振り替え休日、きょうもお祭りの日だ。

昨日渡せなかったワイン1600Fcfaをラティルのところに持って行き息子のフランソワに連れられてフランソワの妹の家へ行く。フランソワはミュージシャンでンブールに住んでいる。昼間はホテルで働いて、夜に演奏をする。外国に遠征もする。
この家でジュースを飲んでセネガルクスクスを食べてまたあいさつ回り。行った先でオシンを貰い、飲む。

歩いていたら日本語で挨拶するお爺さんに会った。アンドレという自称70歳。むかしは日本人の乗る船で料理を作っていた。小学校も出ていないがスペイン語もフランス語も話す。一生懸命働いた、そして生まれ故郷に家を建てた。皆に日本料理を食べさせたかったが、分かる人が居ないと嘆いている。奥さんも料理を知らないから、材料が豊かでないこの国で粗食で詰らんといっている。1978年ごろから日本人と働きよく世話してもらったそうだ。「アンドレちゃんうまいよ!」と親子丼、コロッケ、煮付け、ホコミヤキ(お好み焼き)・茶碗蒸し、鳥の照り焼きなど作っては喜んで食べてくれたんだそうだ。
レシピにはソユ(醤油)、sucre(砂糖)、AJINOMOTO(味の素)がだいたい入っている。
懐かしんで話してくれた。いつも神様が守ってくれているから日本人との仕事が終わってこの村で自分の経験を理解しない人が居ても平気なんだそうだ。家から教会の十字架が見える。昔は家の前に椰子の木が在ったのだが、部屋から十字架を見た線上に椰子の実が落ちると、まるで十字架の上に椰子の実が落ちるようだから木を切ってしまった。そんなアンドレ。息子のシモンに僕のためにコーラを買ってきてくれといったが、もうコーラも椰子のお酒もワインも朝っぱら飲んでいるのでお断りして帰ってきた。
子供らがバケツでリズムを取って練り歩いてくる。
昔町内の神輿を担ぎ、休憩所に付くたびにパックに入ったジュースをスイカを貰いお菓子とアイスを貰い疲れが溜まるお祭りを自分もやっていたことを思い出す。
この機会に人の家の前を歩いて挨拶してみた。小さい村だが2日では人の顔は覚えられない、僕は一人しかいない外国人だから今後挨拶が大変になるだろう。

「昔はどの家でもトイレを借りられた、昔は人情があってよかった」と聞くことがあるけど、昔はトイレが母屋から離れていたので、大切な部屋に近づかないでトイレにいけたから、それに知り合いの知り合いくらいしか来なかったか便所を貸せたんで、人情は関係ない。サルが山から下りてきて農場を荒らすのも、野良猫・野良犬がいなくなったからサルが勝手なことをするんで、気候の変動と人間による開発で山に食べ物が無いというだけが原因じゃないようだ。
皆が好き嫌いをはっきりさせて、アノ頃は良かったですますことなく、いいものは広めて行きましょう。
アンドレももう不平は止して、日本料理を僕に食べさせてくれ!

ソンコが来た。水曜日にまた、局長が来るらしい。
明日は海岸を南に10キロ歩いてみたい。

Le20Mai2007Dimanche晴夕方雨

0930教会の鐘が鳴るがおとなしめな音なのでいつもと行動を変える。先日買った袋入りの植物油が流れ出てしまっていたので、ねずみに齧られないようにプラスチック瓶の油を買う850F。50Fcfaのお釣りが嫌だったので2050f出したら、聞き間違えたのかと思われて50fを返された。計算の仕方の違いはよくあることだ。
1030に教会へ行く。いい格好をした子供たちがいる。いつもと違う元気な神父がいる。
空席が無いが、村長の隣が空いたので座る。
1207礼拝終わり。今日は2時間半続いていた。
その後村中でお祭り。なぜならさっきのいい服を着た子供の何かだから。3日間続いたセネガル相撲もこのための催し物だった。

隣に住む左官のアルフォンスに呼ばれて誰かの家に行く。ここはDioufさんらしい。子供はアルフォンスというのと何とかと言うのがいる。この祭りの3日間で知り合いが増えた。

この村は1978年(村人証言)に教会が出来、おじいさんの代頃からイスラム教から改宗した人が多く、今では村の9割以上がカトリックだそうだ。Dialogue Islamo-Chretienだ。
カトリックの診療所で修道女が1978年から診療所があると言っていたからやはりこの数字は正確なんだろう。

BabacarがDjifereにいった後で家(漁業養殖局ジフェール事務所)に立ち寄った。彼は直ぐ帰るし、イスラム教徒だからちょっと休んで勝手に帰っていった。このように家を事務所と兼用にするのはJICAは安全対策上嫌っている。僕は何が便利か分からないが、安全ならば事務所兼自宅だとここでずーずーしくしていても文句が出ないのでいい。これから改善しないといけない。

Dioufさんの所ではチェキで写真を撮って主役の子供と家族に渡した。この日はただで村中どこででもご馳走になれるそうだが、ビールと椰子のお酒オシンをのんでカステラと揚げパンを食べたら頭が痛くなったので一箇所でおとなしくしていた。
チェブヤップを食べた。

写真が7枚しか残っていなくて、「誰其れを撮ってやることになっている」と言って多くを断っていたが、同じ名前の人間が2人主役の中にいて、断ったはずだが自分は写真を撮ってもらえると思ってやってきた。僕は名前を覚えないのでこういうこともあろうかとフィルムを1枚余分に残しておいたので撮ってやった。祭りでの皆との会話を機会に、今後、この村の家族構成が分かりやすくなればいい。

1750気温29.5℃涼しい。20分間ほどだったが雨が降った。1月16日のセネガル到着以来、今まで2回ダカールで通り雨があっただけ。いよいよ雨季か?

調理をしたかったのでたまねぎとニンニクだけでスパゲティを食べた。
流し台は何時出来る?


Le19Mai2007Samedi
朝起きられない。
起きたら昨日貰ったマンゴーを食べた。昨日食べた分の種は発芽し始めていたので植えてみた。マンゴーの皮は家に住んでいる4匹のトカゲにあげた。
宮元常一の民俗学の旅を読んで、次にQU’EST-CE QUE ECOLOGIE POLITIQUEを読み始める。
1830Fatuのところで晩御飯を食べる750f。このところどこでも値上げしているので、流し台が無いけど料理を始めようと思う。でも週に2回はFatuのところに行こう。
1900アルフォンスと会う.その弟フランソワとも会う。で、家の隣に住んでいるのがHenriだということが分かった。アルフォンスがこの辺でえらいのはラティルの長男だかららしい。で、ラティルは初代水戸黄門に似ているので僕が親しみを持って毎回挨拶に行くから、
この辺の人は僕のことを知っている  と考えると納得できる。
2030までセネガル相撲を見る。入場料500fcfa。年に一回この村で興行される。
地面に手を突いてもひっくり返らなければ負けにならないようだ。レスリングよりも日本の相撲に近い。日本人がやっていることっていろんな分野で洗練されているのかもしれない。中国から伝わった考え方があるが、日本人の方が井の中の蛙でいることを嫌って遠くに出、ふるさとは遠くにありて思うものなんて言ってる。妙だ。
相撲の興行主はカトリック教会らしいぞ、集まったお金は何とかかんとかっていう話を聞いた。
「たとえばお前が主催するなら云々」と説明してもらったが終わりの方は別のことを考えていたので聞いていなかった。
ご飯のことを考えていた。この村のことやラティルの家族が大体分かったので、適当にご飯をご馳走になったり遊びに行ったりしてみよう。人の名前で一夫多妻なのかどうか、子供が公立学校に通っているのか私立に通っているのかが分かるようになってきた。そうなると僕のセネガル名が大司祭の名前に由来することが面白い。Kalifa DIOUFとはWOLOF語学校の先生が、「君はフランス語が分かってみんなのまとめ役を務め、しっかりしているから」という評価でグランマラブーのハリファ・ババカールと赴任地の民俗の典型的苗字DIOUFからつけた名前。奇しくも仕事の同僚はBabacarという、僕ら2人合わせて一人の大司祭の名前が出来上がる。神の遍在性を感じる。

Le18Mai2007Vendredi晴
明日と明後日はこの村の近くでセネガル相撲があるらしい。

1000カトリックの診療所のDr.Bernardにフランス語版ブラックジャックを見せてみた。
「たいした部屋は用意できませんがどうぞ一晩ごゆっくり」の意味を聞かれた。
やはりフランス語圏とはいえフランスとセネガルではフランス語が違う。日本では 「回りくどい力づく単語」が流行りだ、たとえば「心の視力」、これは多分「洞察力・想像力」のことだと思う。「停電」はここでは「(電気の)流れ切れ」と言う。
帰りにシスターからマンゴーを5つ貰った。

1900FATUのところでサラダを食べる。なぜか知らんがいつもおいしい。沢山食べたいような気もするが、まぁいいや。500fcfa。
店の直ぐ向かいの会場で、今日から3日間セネガル相撲をやってる。明日見に行こうかな。入場料は500fcfa。セネガル相撲を見に来た人で今日はにぎわっている。カトリックの小学校の先生Richardと話した。彼はMbourに家族がいて、週末は帰っているのだそうだ。そして、和田君の隣の先生はストをしているが、カトリックの学校は関係無いと言っていた。

同じときにRichardの横で僕になにやら話しかけるおばあさんがいる。Fatuやその先生の通訳によると「ヨーロッパ人のお兄さん、コラの実を買うからお金を少し頂戴。」と言っている。多分セレール語だ。他のボランティアから聞いた何とかっていう単語は聞こえなかった。昨日の子供らの寄付ある目があったので、狭い村で(khalifaは寄付に応じる)という印象が付くと厄介なので、僕はフランス語で「少しという金額は無いんだよ。いくらかのお金の単位があって、それは何かの変わりに支払われるものだ。」と言っていたら、20歳くらいの多分そのおばあちゃんの孫だろう、おばあちゃんを連れて行った。

今夜も停電。潮騒を聞きながら大西洋の方を眺めていたら、日の入り19時50分頃から停電終わりの2237までに3個の流星が見えた。気温27.9度、涼しい。

Le17Mai2007Jeudi晴
0715気温25.3℃。
教会の鐘が鳴る、今日は昇天祭。
0930から礼拝。
1030礼拝終わり。群馬の冊子の写真を近所の人と見た。アジズに電気代を払った。
1130SONKOが来た。月曜にまた連絡するそうだ。FATIKの自動車免許は6月17日まで受付が無いらしい。選挙の所為か?
夕方寄付を集める学生が太鼓をたたいてカップを持って歩いている。20人くらい居るだろうか?持っていた小銭は100fに満たないが持っていかれた。
更に隣村から女の子が2人、別件で寄付を求めてきた。粉引きの何かの寄付だそうだ。しかし、小銭が無い。粉ミルクを買いに来たところだったので、買い物後に200f渡す。2人とも16歳くらいの女の子で、ひとりがかわいらしい顔なんだが、ちょっと話しているうちに仲良くなった感じ感じ感じ。で僕は家に帰る。
1900FATUのレストランが今日は休み。なぜならFatuが疲れたから。でパスタ、玉子、油、たまねぎを買って家で調理して食べた。
昼間左官のアルフォンスに会ったが、まだ管が来ないので仕事が出来ないんだそうだ。なんだしょりゃ!一体どこに注文したんだ?

Le16Mai2007Mercredi
0723バスでDPCAへ行く。
0920DPCAの車でDJIFEREへ向かう。
1117MBOUR通過。
1217Fimlaのpost de Controle de la Pecheでトイレ休憩。
1235ンダンガンでFAOのテレフード計画が始まるから会議した。カキの養殖・マングローブ植林・女性による水産物加工がテーマ。
1400会議が終わる。3月はじめに僕はDPCAに「thiof養殖以外の資料は要らない」といったけど、近くで色々な活動があるので出来る限り関わっておきなさいよ。 といって資料を渡された。  移動手段が無いのに。。なんで国際免許とバイクがあるのにバイクが運転できないのだろう?現地免許が必要なわけは何だ?
1500ジフェールで来週からの稚魚採取に関しての会議と必要なものの確認。
塩分計、酸素計はもう直ぐ届くらしい。
1600会議終わる。今までドーナツを齧ったきり皆食事していない。
1630パルマランに帰る。
2106停電。疲れた、何も食べずに寝た。


Le15Mai2007Mardi
0830路上パン屋でパンとあまぁーいミルクコーヒー。
JICAに提出物。話し合い少々。
1215水産専門員の家へ昼ごはんをご馳走になりに行った。アツモ、モリグチ、マコが先にいた。

Le14Mai2007Lundi
0800カールでMBORO出発。
1330漸く連絡所に付く。
シャワー。
1400出発し、
1500HOTEL INDEPENDENCEで安全講習会とインフルエンザ予防接種。
1800講習会終わり。
1900東京酒家。男ばっかり集まってみる。全部で15人しか男隊員がいないようだ。刺身が出た。
アルバラカ宿泊

Le13Mai2007日曜
朝ネットして寝る。ワダは昨日の村へ行った。
昼大家さんのいえでご飯。ワダ、砂まみれで帰ってくる。なんでも、一人で作業したらしい。
海に行く。この海は人が多いよ。Palmarinがいい。
村を回って犬に付き添われてカシューの実を見て帰ってくる。断水。


Le12Mai2007Samedi晴
今までは仕事が無かったのに急にやることが出来たそうである。ンボロの森林局員、良かったじゃないか!
0900小学校でワダが授業をする。5回目だそうだ。1回目はケンダマ、独楽回しをやったということ。
1000授業終わり。「子供は何でも欲しがる」と言うけどそんなもんだよ、でも教室には「種は一人2個までと決めた方がいいんじゃないですか?」といっている女子のたちもいたじゃないか。そういう子達に作業を任せてもいいと思うよ。最後に写真をとる時だって「整列!」と言ったら並んだでしょ?みんな利口な子だ。

海に行く予定だったが、苗畑作りしに行った。子供も入れて17人手伝ってくれた。
2030ごろ帰宅。

Le11Mai2007Vendredi
朝ンデッキ(朝食)おばさんからパンを買う。
農業何とかへつれられてマンゴーの挿し木を見てた。KOICAの人と会った。別の場所でポット苗畑を見た。暑い。。35℃。。砂埃が多い。。
昼は和田家で板を切ってパタパタを作った。大家さんのところでご飯。
村へ行く。畑を見つつアラビア語の先生もしている農夫と散策する。椰子のお酒をもらった。
1900歩いて帰る。クスクスを大家さんとこで食べた。
ネットした。


Le10Mai2007Jeudi晴
0830チェックアウト。JICA事務所へ行く。
1100連絡所へ戻りワダと近所のパソコン屋へUSBキーが上手く作動しないと言いにいった。そしたらば店員達は 誰が売り場担当だったのか 話してる、そんなことはどうでもいい、責任追及しに着たのではないのだから。もう一度こちらの要望を伝えるとすんなり解決した。インストールがうまく行かなかっただけで何も難しいことは無い。
1230EL Mansourに行くと昨日注文したものがあった!
1500連絡所発Mboro行き。7Placesでティバウアヌ経由。
1830ンボロに到着。送電線が太い!水道があるが断水。
大家さん宅で晩御飯。

Le9Mai2007Mercredi
0700連絡所。バイク練習。
練習場所の日本・セネガル職業訓練校(?)の溶接の先生は日本に行った事がある。少し話をした。
昼はEL MANSOURでチェブジェンを食べる。明日は何がいい?と言うことなのでチュー・ブレットがいいとリクエストした。
連絡所の守衛とアタイヤ(お茶)の練習をした。とりあえずよくお茶を溢した。眠たかったからに違いない。お茶の葉を買うときに25fコインが無かったので借り払いで買った。

1800路上の床屋で耳の上5センチくらい剃った。色々と注文をしたので床屋には1000f払った。そしてお茶の葉の25fを思い出したので、床屋から25fコインを貰った。で、借りを返しに行った。

1930皆でタイ料理を食べに行く。
2200たくしーでアルバラカへ帰る。運転手が運転しながら室内の赤いランプを天井に固定しようとするので、ねじ回しを取り上げた。安全運転講習会の夜に事故は勘弁してくれ。


Le8Mai2007Mardi晴
0630起きる
0700にタクシーで連絡所。
0800交通安全バイク講習。
1230EL Mansourに鍋を持ってチェブジェンを買いに行く。
赤いレストランの横の果物屋が「ウルトラマン7」とプリントされたシャツを来ている。
この国では3人目のウルトラマンだ、流行っているのか。。
午後はバイクの点検講習。
夜どーしてもクレープを食べたくって材料をマキコ、ジュンジと買いに行き、苦労して焼く。
アルバラカに戻った。

Le7Mai2007Lundi
0800頃JICA事務所に行くバスを待っていたら、5月5日に会ったサンバに会った。彼は1番バスに乗っていった。僕は4番バス。
1030予約して、A/B肝炎の予防接種を受ける。
しんいちろ、じゅんじと合流。写真屋、手袋屋、ホテル アルバラカ泊。
1900この3人で東京酒家で食事。
2130寝る。

Le6Mai2007日曜
1030教会に行った。こっちのプロテスタントの教会はバンドの伴奏で賛美歌を歌うから元気でいい!
1330路上の床屋で少し耳の上を剃った。500f払った。

Le5Mai2007Samedi晴
0800ダカールは25℃。洗濯。
0900、路上で揚げパン4個入り100Fcfaを買い食べながらネットしに行く。
DPCAに深いところの溶存酸素を計るデジタル機械が欲しいとメールした(アドレスが古かったことを後で知った。なんでも一回目は様子見)。
PalmarinGounoumaneは携帯のOrangeの電波が無いのでTigoのSIMカードを探す。2500fらしい、現物は置いてない。フランスでは情報チップの付いたカードをla carte puceと呼んだが、この店では通じなかった。
Bitikで牛乳を買ったが、これも値上げしたようだ。
連絡所の本を読んでみる。気候と植物と寄生虫が分からなくて生態系が分かるものかってな感じ。更に赤塚富士夫の「これでいいのだ」も読んだ。
夕方路上の床屋に行った。しかし髪を切らずに、近所4111番地に住むサンバという先客と、近所の住んでいると言うマクシミリアンと話した。
疲れていて会話をする気がまるで無かったのでdegguma dara(ことばがぜんぜん分からない)というと、外国人は自分の言葉をアフリカ人に覚えさせるばかりでいけない!アフリカの言葉を勉強しなくてはいけないとマクシミリアンが説教を始める。「少し分かるよ」とウォロフで言ってみた、続けて近くのTele centre公衆電話屋の兄ちゃんがセレールを話すのでマクシミリアンにセレールでの挨拶をした。これは分からないんだそうだ。で、
僕が何でセネガルにいるか話すと、畑仕事を知ってる仲間はいないのかとサンバが聞いてきた。彼はThiesに畑を持っている。家族が昔から持っている畑だが芋とか詰んない野菜しか植わってないから新たに開発したいので誰か紹介してくれと言う。家はこっちだからちょっと見に来いということになった。
僕は家を見に行くのを渋った。面倒だったから。するとマクシミリアンは「サンバのことを怖がってるぞ」なんて言ってる。この野郎ー、さっき説教お前が鬱陶しいんであって、サンバが怖いんじゃないぞ、背丈だって僕と君は変わらないじゃないか、僕にだって君を張り倒すことぐらい出来るぞ!なんて話しながらサンバの家を見に行った。
彼らは僕らの隊員連絡所を知っていた。


Le4Mai2007Vendredi晴
0830まだ停電。延べ30時間。
1100Patrimoine Batiの調査員がfatikからやってきた。
1130調査員の来るまでダカールに向け出発。途中Royal Lodgeに挨拶する。
ンダンガン、フィムラを通り12時40分ルルセッセン通過。昨日は宗教の祭りで、またしても車が無いことを聞かされる。で、車が拾えるところまで行って調査員らはfatikへ帰る。僕はジャンダーム(憲兵)に託された。憲兵が車を探してくれて、僕は1500Fcfa払いカールに乗り込む。どっちの方角に進んでいるのかわからない。木の陰の向きから方角を知ろうとするが、太陽が高い時間には影がほぼ真下にあるので方角が分からないのであった。
1400MBOUR通過。DAKARに入ったところで乗り換えする。降りるときに運転手に300f(?)返された。
1600コロバンヌ着。
1630連絡所着。
1900Capsud向かいのスパゲティ屋に行ったら、役所の指導で値上げしたんだと言う。500から700Fcfaになったけど食べていくか?聞かれた。その後で1ユーロが162円、1ドル120円だと知った。2007年初めはユーロは150円だった。2002年は130円だった。1996年は1franc20円のような気がする。

2007年5月3日木曜日晴満月
0630教会の鐘が鳴る。
昼間Jeanの店に粉ミルクを買いに行くが大きいのが無い。夜7時ごろに入荷だと言うが小さいのを2つ買う。値段はカバイタディック、ウォロフにするとニェティ フッキ ヂュルムとかで、つまり150Fcfaだった。
1900ソンコが来る。明日は家にurbanisationの調査員が来る。
ずっと停電。