Agendum Khalifa Kenji

jeudi, décembre 02, 2010

海老蔵のでも頭を蹴っちゃいけないよ

クリスマスツリーを出しました。/
さて
、2004年のある日曜日僕も頭を蹴られた。
 その日は午後から遠足の予定があったので、モンペリエの大きい方の郵便局近くにあるコインランドリーが開く朝7:30に待ってたら、タバコ持ってませんかと話しかけられ、あーだこーだで、結局2人組みに携帯電話を盗られた。その際に石畳の上で後頭部を蹴られて、更に踏み付けられた。
 2人組みの命令している方をやっつけてしまえばおとなしく帰るだろうと思ってやっつけたとたんに、子分がパニックになって馬鹿力を出して引き倒されて後頭部を蹴られ、冷たく感じて出血したと思ったから、子分にさっさと帰りなさいと命令して、洗濯物を担いだままアパートに戻って友人の電話から救急車を呼んで3針縫って、午後に遠足に行った。
 頭を蹴られたから一人の時に吐き気が出たり、失神したら行けないので、家で休むのは絶対ダメと言われて遠足に行った。

 倒された敵のリーダーは一人で立ちあがれなくて部下に担がれて帰ったけど、一応狙って打ったし、2ヶ月後に路面電車で頭を蹴った奴を見つけた時に、スタコラサッサと下車した様子ではその後のボスの経過は良かったんだと思う。
 事件から1週間で抜糸して、警察にも行った。おかげでモンペリエ大学の後期2週間集中授業には1日しか行っていない。病院でも警察でも状況説明と文句が言えたので、計らずもフランス語の進歩をかんじた。あー、よかった。/

 中東で雪景色を維持するのと長野で雪景色を維持するのとではかかる費用が違うのは当然。ヤシの木を維持するのにかかる費用もフィリピンと神奈川ではやっぱり違う。
「それはあなたの個人的見解ではないですか?」は、データ重視じゃ無いでしょう。考えが無いのかなんなのか。データに責任を押し付けて、考えていない。考え無しに人の話は聞けないし、失敗したときに弁明もできないので失敗が生かされない。となると、辞めるよりほか責任の取り方が無い。「いい経験だった」がいい経験と失敗を誤魔化しちゃっている。/

 おでんや屋台の主人が隣のやきとり屋台の主人から焼き鳥を買う、焼き鳥やが隣からおでんを買う、で、お金は行ったり来たりで品物ばかりが減って行く落語があった。
現代は働きと儲けが遠い関係に置かれてしまっている。心に潤いを戻すために儲けにならないボランティアがはやり、生活に必要な無償ですべき活動が出来なくなる。経済は民、生活は動だっけ?省略しすぎて実質が無い現代。収穫が無ければ使えない。しかし聖職もイメージ先行型。

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