Agendum Khalifa Kenji

dimanche, novembre 21, 2010

変な外人/2位じゃ/おいしいもの+おいしいもの

 1963年NHK放送の夢であいましょうを観た。昔の音楽家は、なんか、うまい。取り直しができないから本気でやってるんだろうな。
 E・Hエリックの変な外人を観て思い出したのは、2004年にフランスで剣道七段のじいさまベルナール・デュランと話したこと。「17歳のときに戦争で両親が死んで、色んな仕事をやった。柔道をやりに日本に来たんだけど、柔道は三段で剣道7段になった。日本では日仏学院や早稲田大学でフランス語を教えたりもした。でも本業は浅草で変な外人をやってたよ。」このあと浅草で習った下品な日本語を教えてやるといって沢山日本語で話し出した。日本人よりも古い日本語を知っているフランス人じいさんだ。今年の夏に、大切にしていた飼い犬が死んでがっかりしているそうだ。
 別の80歳。「子供のころに、気の枝を削って地面に投げて突き刺し、相手の枝を倒す」遊びがあったという「削ってるときに肥後の守で手を切って、赤チン塗ってたよ」なんて話してる。聞いてた67歳は「俺達の頃は5寸釘でやってた」。その頃から既に子供の遊びは手作りじゃなかったんだ。完成度の高い年寄りと遊ぼう!/
 日本は世界二位の経済大国になったらしい。アメリカに勝つのをよく思わない人もあるかもしれないけど、1日だけでも1位になりましょうよ。/
 夏が過ぎてもmoumoonはいいかも。
 現代語翻訳事情p.22・・・そして、ことばは、いったんつくり出されると、意味の乏しいことばとしては扱われない。
意味は当然そこにあるはずであるかのごとく扱われる。使っている当人はよく分からなくても、ことばじたいが深遠な意味を本来持っているかのごとくみなされる。分からないから、かえって乱用される。文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。」 だから通訳ってつかれるんだよ。通訳の100点満点は、−40点から+60点で、中間点が0点に違いあるまい。翻訳語、造語を作るときには、コーヒーゼリーグレープゼリーのように、おいしいもの+おいしいものの組み合わせが出来る。まずかったら不味いとしましょう。ちんみなら珍味としましょう。
 言葉が「正確」でしかないならばナゾナゾはありえずに説明文になってしまうし、手品の説明は演出でなくて不快な誤解の元になってしまう。小学生のときになぞなぞの本を読みながら考えたことから進歩してないけど。
 盲目の落語家の番組を観たら、彼は話だけでなしに、演じる師匠にしがみついてその動きの指導を受けていた。落語はラジオでも楽しめるので、その話法に注目されて語られるけど、伝える・表現することにはコトバにのみ依るんじゃない。(以前のメモ:居合の伝達法・習い方、途上国への情報・技術移転の方法に関連)/
 カタカナは漢字からできた。国の名前を中国から来た表記で見るように、その発音から、その意味から漢字で書ける。ミッキーマウスは米鼠と書くらしい。日本の今の漢字には、カタカナのような用法も有る。だから表意文字としてだけ翻訳語を読むと、わけわかんなくなる(**)。顔文字も絵文字も表意文字の漢字も表音文字の漢字もカタカナもひらがなもローマ字ぜーんぶ日本の文字。(去年の横浜での浅田次郎の講演会のメモ関連)/
回文 palindrome.
AKB
CKB