Agendum Khalifa Kenji

samedi, janvier 12, 2013

不満ばっかりの先輩が欲しい/宗教観

 時代の荒波を乗り越える中で出会った嫌な事や不満についていつでもぶつくさ言っている15歳以上離れた先輩が欲しい。

世間のおかしな事態についてワクチンとして仕入れておきたい。/

なぜ洗脳は染脳と書かないんだろう?/

世間のご期待に応えてしまって置いた 「精神年齢63歳」 を 再び表に出しましょう。/

自動車メーカーでもたこ焼き屋でも牛丼屋でも、ライバルとの競争が大変です。
 「他の奴らがだらしない」時には苛つくけれど、ライバルが居ないんだととらえて自分でやっちまいましょう。 頑張りましょう。/

 アジアでは (情報)物・物と文化・文化・価値観の交流が起こる。日本、インドネシア、タイ・・世界・、が対等になるような道を通って、対等にならずに多様になるからうまくいくに違いない。/

 観葉植物を帽子掛けに使う::樹の堅さの違い、盆栽文化、木の性質、生態系にまで考えを広め周知させる。/

 剣道をやっていると仏教、禅、武士道、神社関係の言葉で剣道心理を説明したものに出会う。僕が10歳ごろから親に連れられて教会に行って36歳で洗礼を受けたのは環境の所為が5割くらいか?    日本語で、言葉だけでセネガル生活を日本に居る日本人に伝えようとしても難しいので写真や映像を使い、数字も交えて話、なんとかして体験に近づくような表現を連ねるしかない。     日本語を韓国で教えていても、 理解度の誤解 は良く感じる。評価はそこそこ難しい。 日本語を話す日本人も 便利な相槌「そうですねー」などを50歳代の人がアジア人の顔で言えば日本語が分かっているのかと思ってしまうだろう。    で、言葉つながりで

 「神の御言葉」を学ぶと言えば宗教をやることです。イスラム教では翻訳されたコーランはコーランではなくコーランの翻訳なんだそうだ、キリスト教では何語でも聖書は聖書、仏教ではいろんな日常語が教えの媒体になればいいそうで、難しい謎の呪文にしてはいけないと言われているらしい。  イスラム教は少し後発な分、翻訳の危険について知っているような気がする、そして手を洗ってお祈りする、利息は良くない、豚は汚いので食べれば病気にかかりやすいとか科学的な行動指示に通じそうな意図をセネガル生活で感じたので、翻訳禁止でも良いように思う。なんだか理系っぽい。
     宗教はまず{素直にまじめに}信じることが大切な段階から入るもんだろう。  宗教をやっているかどうかは真面目かどうかを見るだけで、それを理由に戦争をやるなんてくだらない。真面目の押し売りはダメ。
   真面目さの次の段階は、「神の御言葉を学ぶ」。神様の言ったことを丸覚えすることに終わらないで、自分の日常で使う言葉を介して翻訳された神の言葉を学ぶという事は、思考の道具である言葉を洗練させることになる。良く整えられた道具を使って考えれば、そのうち問題は解消する、それが神様の「知恵」だ。  宗教は、つまり、「落ち着いて良く考えてごらんなさい」のメッセージを発しつつ、私はこんな時にこう考えましたという事例が紹介されている事でしょう。  (物と巨大なエネルギー的は物の存在については、全部がモノで良いと思っている。)  真面目に信じるだけでは騙されるので、「真面目に考える個人」になって、みんなと一緒にがんばりましょう  というのが 宗教だと思っている。 宗教を「ありがたいもの」に落としちゃいけない。  教育は大人に対しても子供に対しても大切に為されなければならない。 言葉を使って良く考えてみましょうというのは大昔も 「思考停止」 というフレーズがよく使われる現代の大事故時代でも同じことです。

 口が達者な事が最終的には言葉が出来る事だと思われることが有りがちだけど、自分一つの頭だけでなく、他人の頭も使って考えるために話したり、書いたりするので、結局は言葉は思考の道具でしょう。   上手になりたいな。/

 たまに飲むコカ・コーラがおいしい。/
 NHKの高橋勝司先生の番組を見たら、臼井さんがホルンを吹いてた!