Agendum Khalifa Kenji

vendredi, février 15, 2013

政治だと思って/真面目で強いから日本が好き

字を書いていたら時間が来た、読んでいても時間が来た!あーーーー。風邪ひいた。/

すごーくよく似て、それでも非なるものの中で日本はいつまでも迷っている場合じゃないよ。
似て非なるものは有っても良い、でも間違えないでね。
世界も、日本も迷ってしまうから、領土問題だとか文化、語源と現在の言語と日本の古語と、、、しっかり知って区別しなけりゃいけない。
夏、冷蔵庫の中のそばつゆと麦茶を間違ってるようなものだ。


う~ん、韓国経済は弱い。小さいと言った方が良いのか。
 お土産、贈り物をし合うのは良い、しかし、人の目を気にしすぎで、雰囲気は20年前の日本みたいだ。外ばかり取り繕う。身なりを整えるのは最低限の礼儀としてやっているが、二の矢がでないのは誰しも分かっていることだ。残念なことだ。良い人は多く居る、日本での生活、セネガル生活、フランス生活同様に、今韓国で助けてもらう事が多いから、しかしまた、我慢を知る者が少ない。我儘だ。/

 面倒な事は、全部政治だと思ってやればいいかな。/

かっぱえびせんの偽物? 偽物が普及するが本物が出てこない理由は何だろうか?安くても普及しない本物は何だろうか?
 本物は長所と短所を自分でわきまえているが、にせものは効能しか知らないので副作用に気付くと逃げる。  根性無/

 来週は生徒の1人がソウル市内の地下鉄駅で、日本人観光客案内のボランティアをやるので、探してみて。
 英語はできる、でも日本語もやって飛行機の客室乗務員になりたい御嬢さんが時々生徒に居る!           たのしい。/

 リスクをとると言えば、覚悟を決めているようだが、出来る失敗を見越して行ける所までとりあえず行ってみるのもリスクをとることに当てはまる。
 空言語が横行している。/
強いと言えば相手に勝つイメージばかりでなく、打たれ強いことの方が成熟していると思う。攻撃にたいしてすぐに腹を立てないで相手に教えてやる強さ。ヨーロッパにもあるよね?

一般的な日本人よりも具体的な日本人として外出しよう。/

 日本人顔の{ロシア人、モンゴル人、中国人、タイ人、、}、韓国語クラスの仲間はみんな1年以上勉強していて良く話す。僕だけ数か月、、、みんな良い奴だなぁ。/世界進出は世界でやればよくて、日本で頑張っても独り相撲になる。/

ロシアからソウルまで鉄道でつながって、ソウル西の港と中国の港を整備して、日本は北前船の航路を参考に数港整備して、もう一つは空港を経て世界に貢献したらどうだろう。
 /

 日本は真面目だから、遊んでいても権威として固まらずに面白い発想になることが多いそうだ。面白い。結局強い日本が好き。
ポッドキャスト2つ:
  J-WAVE 別所哲也2/14日、遠山正道。/TBSラジオ日本全国8時です 2/15日小沢遼子



曹洞宗の宗祖は道元禅師であるが曹洞という名前は洞山、曹山という二僧の名を採って曹洞宗と言っている。その洞山と言う僧が「洞山五位」について、平等と差別の関係を五ツに分けて説いているが非常に難しい原理であるといわれている。その「洞山五位」の四番目に「兼中至」があるが、それを曹洞宗では「偏中至」と言っています。正は平等で偏は差別です。正偏を兼ねているから「兼中至」と言う。これに頌がありますが、頌とは、もと君主の美徳・成功をほめた誌をいいます。その「兼中至」の頌に

「両刃交鋒不須避、好手環同火裡蓮.宛然自有衝天気」とある。これは洞山が作った詩である。つまり、平等と差別が一ツになって同居している世界(社会)そのものをこの様に詩で詠っているわけです。この公案を京都天龍寺の滴水禅師が、当時、師の浅利又七郎の幻影に脅かされ通しであったと言われた鉄舟山岡鉄太郎高歩に授けた、この後鉄舟は三年間苦悩したのである。そして45歳の330日開眼したのである。鉄舟は幕臣ながら侍従として宮中に仕え、専ら剣道に精進、無刀流を網出し(編出し)政治を遠ざけ剣道家として生涯を一貫したのであります。

両刃とは正と偏、平等と差別、敵と味方、善と悪、是と非等 対立状態を刀を以て戦う自他相対の姿で表現している。交鋒とは二ツのものが刃を交えて対立した状態をいう。不須避とは一歩退けば突込まれる、押すことも退くことも出来ない逃げる事も攻撃(?)する事も出来ない、絶体絶命の境地状態である。好手とは名人の意味である。よい腕を持った人は、昔から仏説に「火の中に入れても萎まない腕」を持っている。それは体得したものであるから萎まないのである。火裡蓮とは、蓮の花を火の中に入れれば忽ち萎んでしまいますが、火裡蓮と言って昔から佛説に「火の中に入れても萎まないものがあるという」それは蓮花に坐するお釋迦さんの悟りである。その悟りの蓮華台は萎まない。それを火裡蓮と言ったのであろう。衝天気とは天を衝き透すような気迫、眼は活き、ものに動じない毅然として立っている近づき難い徹した気迫である。それは火裡蓮である。

剣道では気を錬ることが最も大事である。その気はさながら天を衝く気である。剣道に「金翅鳥王剣」というのがある。これは両刀なのである。自分には相手がある。しかし、その相手は自分とは別ではなく一ツ、相手と一ツであることである。だから、この本当の精神が分かればどんな境遇に入っても自由自在、これが金翅鳥王剣であると謂われている。この世には業火の炎、嫉妬の焔が燃え続けている。この嫉妬の焔を消し、相手と自分とは別ではなく一ツであると悟り、ただ衝天の気を持ち続けることが大切である。大変難しい悟りであるが、剣道では「立底見坐底、坐底見立底」これ剣禅一如の相なり。平等と差別の戦いを演じて心の修行をするのが剣道であると云えると思う。
 剣道を学ばんと欲すればさす手も引く手もない両鏡相照らす妙消息が大事であって、修行の出来上った人は火にも水にも壊れぬ、さながら前向きに進む、くよくよ利害損失に拘らない、我が心の明らかなる時に、しかと想い極めて置き、然る後、仕事に着手すれば、決して是非に執着せず、ズンズンやること、勝負に拘らず、本当の道に入ることが出来る。と思う。



学剣労心数十年 臨機応変守愈堅

一朝塁壁皆催破 露影湛如還覚全



 明治十五年四月  鉄舟