Agendum Khalifa Kenji

lundi, octobre 18, 2010

本能<自然の摂理

 人間は生命だから、本能的に自己の生命を守る本能がある、かもしれない。
それは恐怖感・苦手意識で自分を害する物がら自分を遠ざける警報を自らが鳴らすことであったりもする。
 こわい対象、熊であったり、苦手な人に出会った。相手はまだ自分の存在に気づいていない。そっと逃げればいいけれど、苦手な存在に気づいた自分は驚いて「あっ」と声を上げ、自分を相手に知らせてしまう。
 本能に支配されることは時には自然の法則に支配されることでもある。だから危険を察知して逃げ延びる場合もあれば、弱肉強食で食われる場合もある。
本能を原始のままに放っておくと、まず、自然の摂理にやられるだろう。

 オスは自分の命が弱ると遺伝子を残そうとする、、らしい。
イスラムなどの一夫多妻だけど普段は一つの家に奥さん全員が揃わなくても良いようにしてみたり、カトリックの離婚禁止だけど現実的に別居システムを編み出すなど、工夫・文化・習慣とは関係なくて、
自分の浮気によって奥さんに怒られて我が身の危険を察知している男は、本能にしたがって遺伝子を残そうとしたら更に泥沼化だ!

8月4日頃からのつづき:
一個一個の特性を見るだけでなしに、二個二個の関係性を見なくてはいけない。
木を見て森を見ないって」表現は、
1本の木を見て、全体の構成である森も見る
みたいに木の量が少数の視点と、木々が集まる大きい単位の視点という
   的な話何だろうか?

それとも
 森には当然鳥や動物が住んでる。
木々が雨水を受け止めどうこうなんていうのはいいとしても、「森」に動物は含まれるんだろうか?その森に動物は生きていないんだろうか?
「木を見て森を見ない」を量的な意味以外で使えている例文は少ない。
木が一本有って、木がたくさん有るぐらいのもんだろう。その森に鳥・さる・サワガニは住まない。
熊も猪も猿もでてくるさ。  果たしてホントか。

松林、杉林、雑木林、自然林、原生林、広葉樹林、社寺林、鎮守の杜、大岡越前の守、、

動物を見て動物園を見ない。
あなたを見てあなた達を見るのは簡単だけれど、あなたを見て私達(自分も含まれる)をみない。
字を見て文を見ない。林にはあまり大型動物も含めた多様性はない。
農行委員会ってなんだろうか?/

平成の坂本龍馬さん、
   大政奉還しない?
        幕府の政治も国民主権も日本には馴染まないかも。/
 千里の道も一歩から
北へ向かって北極星を目印に、一歩一歩歩いてきて、気づけば北極星は頭上にあったくらいに困ってる。
 宇宙には行かれないし、行きたくもない
歩いてどこにでも行ける。/
 寿命が長くなると同時代に生きる人の年齢幅が広くなるから 今時の若い者 の年齢も、昔の若い者と今の若い者とで同じ年代だとは言いきれない。/
 子育てのための幼稚園なのか、雇用の場としての幼稚園なのか判りゃしないよ。/
そこで、どうするか。がビジネスモデルと言うことらしい。5ヶ月もかかった。??
 「言い負かす」=「一緒に考える」
 むかし、道路沿いにがあって次に田んぼがあって水路があって、当時はワラを利用してた。
田んぼの中に新しい道路を作ったから、今までは道路と田んぼの間に町があったけれど、今では道路と田んぼが接している。そしてビニールや針金などが取って代わり、ワラをあまり利用しない生活になった。
 新しい道路はまっすぐで、スピードを出してもいいように出来ている。でもいらなくなったワラを田んぼで焼いて煙が視界を遮るので危ない。そこで、ワラ焼き防止条例ができたとさ。排気ガスが畑に影響するかな。広いから拡散するか。旧道は静かになった。時代だな。時代かな。/
 あらあ、、模擬刀の鍔が錆てる。。
 ゲーセンのUFOキャッチャーが500円だとして、水深80000cmからのタラバガニキャッチが1万円だとしたらカニの値段が解りそう。