Agendum Khalifa Kenji

jeudi, janvier 15, 2015

全体で生態学//



特別寄稿   告発から創造へ    横浜国立大学教授 宮脇昭

現代は告発の時代といえるかも知れない。昭和45年春のニクソン大統領の教書に触発された我が国の環境問題に例をとっても、今まで開発、産業発展、経済成長一点張りのわが国では急に公害や自然破壊の告発がはじまった。4年を経た今日なお、公害、自然破壊といえば個々の局地的、直接的な問題の告発にマスコミも政党も住民運動も終始しているきらいがある。
 もとより、単一の重金属で人が死ぬような問題は環境問題以前の毒殺問題である。毒は国も地方公共団体も、住民も何を犠牲にしてもその発生源を徹底的に排除しなければならない。しかし、単なる告発だけでは、いくら続けても間違いのない人間の心と体をまもるための真の環境保護には役立たない。
 おなじことは最近の石油騒動に端を発した企業や流通各経路の業者の買い占めや不当利得の問題でも我々一般市民が知らないところで、様々な悪事が国会その他で告発されている。このような混乱に乗じた一部業者や企業の火事場どろ棒的な暴利をむさぼることは許されない。今後も大いに告発してもらいたい。
 しかし、今までのようにすでに一応物不足の混乱が収まった後でいくら告発され、新聞、テレビで報道されても大変な高物価、異常な値上がりだけを残されたのでは国民はやりきれない。
 なぜこのようなデマか、悪意か、思惑かに踊らされ、混乱を招いたか、表に出てこない、眼に見えない真の原因の究明こそ、実は一番重要なことである。そして、ふたたびこのような経済混乱、極端な値上りを国民にしわよせするような失政がくり返されないようにこそ努力すべきである。
 このように見てくると、どうも最近起ってきた環境問題、資源問題、物価問題の政府、地方公共団体、一般社会の取り組み方を見ても対策上手な日本人の個々の対策委員会、部局、課、係、などの制度はできても、そこでとりあげられてれいることは、すでにだれが見てもはっきりした毒物や自然破壊に対する局地的な、いわゆる部分合理主義にたよりすぎていないか。
 今さわがれている、いわゆる公害問題に例をとっても、個々の直接問題になっている毒物や公害源に対しては、時間の長ささえ考えなければ一応の対策がとられている。しかし、表にでていな公害や自然破壊の真の原因に対しては、なぜかほほかむりして通りぬけられている危険性が強い。
 多分、人事管理にしても豊かな人間社会をつくるにも、たまたま現在、表にあらわれている能力の大小や住民やマスコミが一時的に騒いでいることには皆んなが関心をもつ。また、その解決も割合に適確に行なわれる。しかし大気汚染をひとつを例にとっても数年来亜硫酸ガスが大気汚染の元凶のように騒がれると多くの人たちの努力によって、たしかにここ3年の間にわずかづつではあるが、東京でもロスアンゼルスでもドイツのフランクフルトでも減少の傾向にある。それでは大気はきれいになり、公害は減っているかと言えば、亜硫酸ガスの次には窒素酸化物、浮遊粉じん、騒音というように次から次へと新しい問題がでている。
 今や無数にでてくる田んぼのバッタを一匹一匹づぶす、いわゆる“バッタとり戦法”や、風邪をひいて体力の快復をはからず、鼻をふくだけのようないわゆる“鼻ふき戦法”では不十分である。少々寒さにあたっても風邪をひかないような十分な体力づくり、健康な肉体と精神が保てる多様な人間の生存環境づくりにこそ全力が投入されるべきではないか。
 人事管理に際してもそれぞれの個人の固有能力が無視されて規格品人間ばかり集める管理社会は長持ちしない。

エコロジーとは
 最近の公害、資源問題は今までまったく世間から関心を払われなかった生態学(エコロジー:ecology)をあたかも時の氏神のように急に日のあたるところに引き出し、論議の対象とされるようにした。この事実は長い間、だれからも無視されていたエコロジスト(生態学徒)にとっては、一面においては感謝しなければならないことである。しかし、他方においては、まだまだ若い未完成の科学-生態学-がエコロジーというアメリカ直輸入の片仮名書きで特効薬的に言葉だけが先行するのに不安を感じる。
 エコロジーとは、実は現在いわゆる批評家やマスコミから珍重されるほどモダンな万能薬ではない。むしろ、きわめて泥くさい、長い時間の流れをふまえての生命をもっているものの集まり-生物社会-とその生存環境との総合科学である。
 ヘッケルが1868年に「家の経済(Haushalt)」というギリシャ語から規定したように人間も含めた地球上のすべての生きもの集団と彼等が生きている空間(生物圏)の多様なかかわりあいを研究するのがエコロジーである。
 したがってエコロジー的考え方とは今までの300万年この方の人類の邪魔者はすべて皆殺しにして、自分だけがたとえせつな的でもより便利で機能的に生きようとした自然との対決、自然征服の思想から自分や自分の家族が生きのびるためには、どんな嫌な奴でも、たとえ敵であっても皆殺しにしては駄目であるという自然や他の生物との対決思想から、我慢しながら共存しようとする哲学的な基盤を要求する。
 それはイデオロギーや宗教ではなく、30数億年の生命の歴史が具体的に示している生態学的事実である。時間的には地球上に生命が誕生して以来の長い時間と地球の表層すべてという空間の中で日々時間の流れの上に展開されている生命集団と環境とのかかわりあいを正しく解明して、生きものの一員としての人間の生き方、都市づくり産業の発展、自然の利用についての可能性と限界を把握しようとするのが生態学の真の目的である。

新しい環境創造
 現代は真の人間固有の能力の問われる時代である。様々な無機的条件は計測器が測定してくれる。機械にできない唯一のもっとも重要な人間に残された課題は個々の既知の条件を総合して見えないものを見る力、考える能力であろう。
 環境問題にしぼって考えても、時間をストップした現在の経済の豊かさ、便利さ、能率をもとめての自然の開発、産業の発展、都市づくりが生きものの一員としての人間の持続的生存環境の枠をこえたところで、人間の生命にまで深刻な影響をもたらす公害や自然破壊の問題が吹き抱いている。わかった要因だけを計量し、コンピューターにインプットしてシュミレーションメソッドで人間の生存のモデルをつくって見ても、ただひとつの要因が見落されていて、それが一面的に極端にきくと生物は死んでしまうという生物社会の秩序を知っておかないと失敗する。
 今までの死んだ材料、鉄、セメント、石油化学製品とエネルギーの廃棄物の中ですべての共存者が――ふるさとの緑の森も動物も微生物も――死にたえたような都市砂漠、産業砂漠の中で人間だけが健全にいつまでも生き残ることはできないという生態学的な事実、論理をすべての人たちが正しく理解すべきである。
 我々が健全に生きのびるためには告発から積極的な人間生存を保証するための環境創造を考えなければならない。生きものの一員としての人間の多用な生存環境を形成するためには“生きている材料”を使うのが古くさくて実はもっとも進歩的な確実な方法である。日本中でもっとも自然と人間が健全に共存している都市は、かつて我が国の首都であった奈良であり、鎌倉であり、京都であった。この事実は我々の祖先の賢明な生き方を示している。
 世界の文明歴史を見るとき、メソポタミアもエジプトもギリシャもローマ帝国もすべてふるさとの緑の自然を食いつくしてわずか1000年足らずで亡んでいった。残されたものは砂漠の中の遺蹟にすぎない。ところがわが国だけが古都に少なくとも緑の自然環境が保たれており、莫大な税金と新しい技術を集中投入して、鳴り物入りでつくられた東京湾、大阪湾、伊勢湾、洞海湾ぞいの新産都市、現代の大都市がもっとも深刻な公害のるつぼと化しているのは何故だろうか。
 我々に見えないものを見る力、あるいはおそれる謙虚さ、自然の許容限界を読みとる努力、明日のための生命と心をまもるための配慮と投資がまったく欠けていたからではないか。このまま進めばたとえ善意によっても人間は自らの大量死をもたらす為のあがきを続ける結果になりかねない。
 現代の公害は我々人間が忘れようとしていた自然の中における人間の位置、多彩な生物社会のバランスの枠の中でしか生きられない人間の姿を正しく理解するための意識の変革を強要している。
 今なお間に合う。新しい人類の、そして神奈川県民600万人の持続的な生命と文化を創造する能力を保証するためにふるさとの緑の構築材料による新しい環境創造にすべての人たちがとりくまなければならない。
 自然は多様である。人間の能力や立場も多彩である。あらゆる人たちがそれぞれの能力と力を最大限に発揮してはじめて人間の生存環境を奪い返し、明日の生命の保証が期待される。
 県民の貴重な税金も今日は多少の我慢を強要されても、明日の県民の生存環境を保証するためにこそ十分に使われるべきではなかろうか。

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いぶかる。ゆざめ(した)。ねびえ(した)。ねざめ(がわるい)。→外国語にしてみる。
植林と植樹は違うそうだ。
時間の感覚が長くないとよくわからないらしい。

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丁寧な言葉使いで発話者の視点を示す。
→視点と共に現状と今後の世界を表現する言い方。

特長ある医薬品事業展開のために

総合ヘルスケアカンパニーとして一層の飛躍を図るために2010年6月に誕生した医薬品事業部は、2つの役割を持っています。それは富士フイルムの医薬品事業の拡大と医薬品グループ会社の一体運営です。
医薬品事業の拡大のために、海外事業展開の推進、M&Aやライセンス戦略の立案実行、グループ間の研究開発の機能の強化といった、富士フイルムグループの医薬品事業の基本戦略を立て、そして事業ドメインの設定と新しいビジネスモデルを構築しています
次に、医薬品グループ会社の一体運営のために、事業計画や研究・生産の管理、薬事や品質保証体制の管理を通じ、本社機 能としてのグループ一体運営体制の構築を行っていきます。富士フイルムグループの一体感の醸成、全体最適といった考え方に基づき、「R&D委員 会」「生産体制委員会」「ライセンス委員会」「薬事委員会」「医薬品グループ会社連絡会」といった各種委員会や連絡会を設置しています。
富士フイルムの技術リソースと関連会社の特性を活かし、グループ総力を結集し特長ある医薬品事業を展開していきます。/


 イスラム教の創始者が風刺画の中で侮辱されているという事だ。
キリスト教の新約聖書以降のイエスは十字架に磔の刑になっているので、いろいろと風刺画で侮辱されてもそうそう死刑の図よりショッキングではない。でも新聞はやりすぎだ。
 セネガルのうちの村Palmarin Gounoumaneでは、お向かいさんがカトリックでお隣はイスラムで、ふつうの近所付き合いをしていたよ。
 「豚を食べない」とか、「お祈りの前1日5回はうがい手洗いをして身を清める」は、イスラム教が出来たとされる7世紀の衛生の悪い時代に人々を病気から救う科学的な教育として良かったのではないかと、水道の無い村に住んで感じた。宗教で対立するなんて、確実に間違い。//



人口8000万人の日本でも日本語と英語ともう一つの外国語を使えば自由闊達に世界で生きられるでしょう。作文の他には伝統の保護に役立つ古文・漢文を英語を高校までに勉強して後は勝手に外国語を勉強して、外国でニホンゴが普及するように和←→外国語辞書を売ればいい!
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