Agendum Khalifa Kenji

dimanche, août 02, 2009

感動しやすい人ばかり・失敗したらどうするの?

人に影響されて喜んだり悲しんだり怒ってみたり、感情不安定な日本人は明治時代にもたくさん居たのだろうか?

 人を非難しているに過ぎなかったり、確証なく子供を叱っていても「心配しているんだから」といっては許される。
 大声を出しても「酔っているんだから」といって許される。
心配しても酔っ払っても良いが、
非難を浴びせたり
確証なく子供を叱ってみたり、
大声で叫ぶのは
そう簡単にしてはいけないよ。

失敗したらどうするの!?   なんて言うのも。
パスボールしたらどーしよう・・と思って捕りやすい球を投げる投手の球は打ちやすい。
試合なんだから何が起ころうが仕方ない。
しかし投手は力の入った球を投げるべきで、
キャッチャーはしっかり捕る練習をすべき。他の人がすべき事をピッチャーにさせるべきではないのに
分からない人はピッチャー目掛けて 「キャッチャーが取れなかったら・・・・バッターが打ったら・・・」等と余計なことを言う。

とりやすい球を投げさせるのは監督が決めることであって、ピッチャーの球威を落とさせる発言はしてはいけない。


外で遊んできなさい。
勉強しなさい。
働きなさい。
        どれも丈夫な体・知識・経済のため、それをやった本人にいい作用が出ることだけれど、
子供を追い払うために
外で遊んできなさい。
勉強しなさい。・・・・という使われ方をする。

「邪魔だから外で・・」という本心はバレているのに、もっともらしい言葉を使って自分が物分りのよい人間であるというアピールを自分のためにしつつ、人を邪魔する大人が還暦の世代には多い。研究不足の教え好きも同じく。

現実を理解できていない。良心を基本に我侭を許してもらおうとの目論みが染み付いてしまっている。

たまたま戦後と経済成長が続いた時代に生きたことから厳しさと成功を経験し、切り抜け、強く生きたように錯覚しているが、アフリカに暮らしてみて、少し昔の日本も調べて考えた結果は、

たまたま景気が昇っているときに生きていただけ。
もっともらしい言葉を借用して生きてきただけ。
多い人数がまとまって時代に煽られてきただけで 「世代」というには脆い。

いい流れの中で褒めてくれる人が居た。つまり孤立しなくても生きてこれた。
鍵っ子なんていう言葉も生まれた世代に対して、個性・孤独・孤軍奮闘を経験していない世代が勝つことはないだろう。

引退する時期が来て、 フィールドプレーヤーに会心のプレーをさせる監督には成れまい。