Agendum Khalifa Kenji

dimanche, juillet 26, 2009

せっかくの横浜なので/夏の朝の怖い夢

150年横浜だから、横浜イベントのひとつとして。JCフォーラムに行ってみた。
テレビタックルに出てる人や藤原紀香がお話していた。

横浜の国際会議場に入れる機会なんてめったに無いと思っていたけど、だいぶ前にボクシングの試合をここで見た事に気づく。

フォーラムの雰囲気は、若い人が多いのとOBらしき人の様子などで、大学の部活・文化祭を思い出した。僕には馴染みの薄い生徒会の雰囲気も感じた。

今年は日本で、あちこちで、いろんなことを思い出したい。//


翌朝はちょっと怖い?純粋な夢を見た。
 場所は、
年齢にばらつきのある生徒達が行く、田舎にあるカトリック系男女共学の中・高校。
制服はあるが私服でもかまわない学校で、生徒の心持が服装によってなんとなく理解できる。
先生の雰囲気は自由でいい。
ここには、元気にしてたら おっ! と思う かわいい女生徒が多いことに気づいた。しかし、そんなかわいい子に限って表情に明るさが無い。
この学校の場合はそんな生徒の多くが10代で中絶していることが分かった。美人が故にか。

休み時間に校舎を出、山々に囲まれた風景を眺め散歩していたら、山の空の方から
「おかーさーん、たのしかったよー、ありがとー」と元気で素直な声が聞こえてきた。

向こうから一人の20代前半のジーパン姿の女性が教科書を胸に抱えてゆっくり歩いてくる。
考え込んだ様子のやはり美人。
目が合うと「きこえますか?」
僕は頷く。(この人の子の声なんだな)と悟る。

山の上からの伸びやかな声はこう続ける、
 「いま私はこんな音をきいていまーす」
その時女性は、(もう聞きたくないの!)というように走り出した。

まだ世界を自分の目で見たことなく、お腹の中で音によって外の世界を聞いていた赤ん坊からの素直な報告に耐えるのはつらいこと。
 いまその子の居る世界が、これから聞かされる音によって自分に分かってしまい、その音が仮に楽園の音でなかった時、迷いの世界の音だと分かってしまった時の悲しさを想像してしまった。
 女性は他の感情をも持ちながら、いつ来るとも分からないこの挨拶を送られつつ生活しているんだ。

僕も今聞いているそれがどんな音なのか聞きたくないと強く思った。
 咄嗟にその子の「ありがとー」に答えて会話を会話にせず、挨拶のまま終えてしまおうというつもりで「ありがとう」と叫ぼうとしたが声が出ない。
親に答えてもらえない子の寂しさを紛らせば済むのではないかとも期待した。

2度めも声が出ない。
3度目。 声の出し方を理解したが、叫んでしまうと「夢の外の自分が実際に叫びそうだ」と理解でき、目が覚めた。

未熟な大人と純粋な子供、そしてその間の青少年には、弱さをうらむ悲しさが一瞬よぎる。
 高校野球に代表されるような 一生懸命 を経験できなかったさみしさのような。

朝5時40分頃の怖い夢だった。
 怖がったぼくだが、じつは生まれる前、親選びのために何度かこっちの世界に来たことがある。