Agendum Khalifa Kenji

dimanche, septembre 04, 2005

パパが子供の頃は江戸時代で、飛行機でアフリカへ行くとかいじゅうが沢山居たもんだよ。

 国民の尊厳を損なわない歴史教科書を作ろうという運動がある。誤った歴史認識を質す運動だと解釈しているが、近代の特定の事件について触れすぎているのではないか。「せんせいがうまれたときかいじゅういた?」という本のタイトルを観て思い出したのだが、子供の頃は「昔」を「むかし むかしあるところに」の「むかし」だと思っていた人が沢山居るだろう。国語の教科書に載ってる著者の写真を見れば、村上龍も夏目漱石も近松門左衛門もみんな死んだおおむかしのひとだと思っていた。時間の認識なんてこんなものだった。 今までの時間のながれ流れの中に生まれて、各時代に生きた人々が居て今が在り未来へと、人類の営みを学ぶ中で(家族の歴史、町の歴史、というものもあるが)歴史が特定の人々の事件簿になってはいけない。詳しい研究は大学でやればいい。新しい事件は資料が多いが客観的に理解されることは無いのが常の悩みだ。40億年以上と言われる地球の歴史の中で、人類は輝けるのだろうか。 余の弱冠不肖の身を以て直に其是非を判ずべからずと雖も、心窃かに思う所なき能はず。
 未来に生きているためには平和でなければならない。歴史が止まることは絶滅と言う事になるから、歴史の学習は平和の学習ということだ。そういうわけで年表は事件簿になりがちだが、平時の記憶=文化も大切にしたい。昨日は柳蔭という焼酎(みりん)の復活版を買った。
 年表から戦争を消して現代にまで繋げて遊んでいる。流血を回避して今の世界を実現させるにはどうしたらいいか考える作業だけど、全然うまくいかんよ。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/anaguma/gumyouji.htm

1 Comments:

  • I think this concept applies itself to weblogs, as well. (I know, I know, I use metaphors way too much. Don't fight the weather and it won't fight back, so to speak, if you catch my drift, as it goes.)

    Ted
    free homeschool

    By Anonymous Anonyme, at dimanche, 04 septembre, 2005  

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