Agendum Khalifa Kenji

jeudi, septembre 20, 2012

自分の言葉が無かった時代に ウッホ ウッホ

積極的な事なら我慢はしても、出来ないって事ばかりが世襲じゃやってらんないよ。

外国語が出来たっていいじゃないか。 でも、外国語が出来たからといって自分の事を表現できるとは限らず、誰しも自分の表現には悩みを持つだろう。

他の人を見るためであると同時に、自分を誰かに言い換えてもらうために、あえて普通とはみなされにくい生活をしてみる。


 自分を言葉で表現できなかった頃は、100万年くらい前?すぐに喧嘩が始まったんではないか?
中途半端に言葉がつかえると、口げんかになる。
 自分の言葉と外国語が出来れば、遠い国との喧嘩も必要なくなるだろう。だって疲れるから。

科学と共に、それぞれの国で国語や文学を良く勉強すれば、争い回避の方法が見つかるだろう。民族意識が高まり、対立が深まるような民族文学の学習では浅い!



契約書と報告書は合っているようだけど、現実はあってないな。。 


外国で見つけたちょっと昔の番組 国益を考える講演会